イギリスの食、イギリスの料理&菓子:日本の店レポート
2024-03-24T12:07:46+09:00
ricoricex
イギリスの食研究家、食のダイレクター/編集者/ライターの羽根則子がお届けする、イギリスの食(&α)に関するつれづれ。chattex アットマーク yahoo.co.jp
Excite Blog
ロバのパン @ 若戸渡船・戸畑渡場(北九州市)
http://ricorice.exblog.jp/30866600/
2024-03-24T00:00:00+09:00
2024-03-24T12:07:46+09:00
2024-03-23T22:53:53+09:00
ricoricex
日本の店レポート
賑やかな音につられて近づけば、
「ロバのパン」じゃないの!
場所は、若戸渡船・戸畑渡場(福岡県北九州市)。
ちょうどお昼前という時間、たまたまの曜日の合致、でパンの移動販売に出合いました。
車の両側のドアが開かれると、そこにはパンの棚。
種類豊富にぎっしり詰まっています。
こういうの無条件に楽しくなるなぁ。
待ち構えていたように買い物して行く人がちらほら。
「ロバのパン」の人とも気軽に話していて、なじみの人たちみたい。
すきを狙って、我慢できず(苦笑)、質問攻めにしてしまった。。。
えっ、小野田(現・山口県山陽小野田市)から海を越えて、戸畑の若戸渡船場(福岡県北九州市)まで来てるの!(まぁ、近いっちゃあ近いけど。車で1時間ちょい、かな。もちろん、地元でも売ってますよ、と)
戸畑は水曜日、ちょっと先、海(洞海湾)の向こうの若松は金曜日、11〜12時頃に現れるそう。
戸畑はクリーム系が、コロネもチョコレートでなくクリームが売れるとか(へぇ〜)。
車の後ろに貼ってあったモノクロ写真に目がいく。
その昔、門司(北九州市。門司市の頃でしょうね)で撮影されたもので、
ここに写っている女の子(女性)からもらったそうです。
ドラマだわ!
どうぞどうぞ!と写真も撮らせてもらいました。
歴史的なことを訊くと、
「僕、よくわかんないんですよね〜」。
そりゃそうだ、40代かな? 昔のことはわかんないよね(すみません。。。)
一番人気はてんさいメロンパン、だそう。
見ると食べたくなる、チョココロネと買いました(各200円)。
ごちそうさまでした&ありがとうございました!
・・・
2000年代、東京では、といっていいのか、パン(ブーランジェリー)ブーム、みたいなのがあって、
それは、パティスリーが浸透し、でもケーキは高い。
パンなら、ブーランジェリー系でもまだ安心して買える、日常のちょっとした贅沢、
ってのも、後押ししたんだろうなぁ、と捉えています。
そして今。
この日の午後もそういう話になったのですが、ブーランジェリー系のパンは、感覚としてはすっかりパティスリーでプチガトーを買う感じですね。
そのプチガトーはさらに高級品になっているわけで、
原料の高騰などを考えると、これでもギリギリなんだろうな。
でもね、いつものおやつ、と考えたら、そんな高尚なもんじゃないよなぁ、とも思うんです。
感心するほどおいしいのは結構なことだし、ときめいたりもするけれど、それはやっぱりハレの場合なんじゃないかなぁ。
普段は、身の丈に合った、というか、肩肘張らない、普通の素直においしい、で私は十分過ぎるほど満足しちゃうな。
「ロバのパン」は移動パン、だけど、こういう街のパン屋さんとかケーキ屋さんとかを大事にしたい、そのためには買って食べる、だなぁ、とも思うのです。
高級化、もしくはコンビニやスーパーマーケットに置かれるメーカーの廉価で大量生産(これはこれで頭が下がります。ものすごい企業努力だと思う)の二極化ばかりじゃ寂しいじゃない。
今日はここのあれ食べよ、って小銭握りしめてお店に行くのも楽しいもん。
wed 28/02/24
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おでん @ 大太鼓(北九州市)
http://ricorice.exblog.jp/30857698/
2024-03-18T00:00:00+09:00
2024-03-23T17:44:20+09:00
2024-03-17T14:24:53+09:00
ricoricex
日本の店レポート
鶏がらスープを使う、と聞いて、ものすごくそそられた、のがきっかけ。
別段、鶏がらスープが好きなわけではないのですが、おでんに使う、というのは、すくっと味わいが想像でき、ああ、いいだろうなぁ、と思ったのです。
ありがたいことにそのお店の掲載誌を頂戴し、間違いない、と確信。
小倉(福岡県北九州市)に泊まった夜は、この地で50余年おでんを作り続けている「大太鼓」へ。
https://sakagura-oodaiko.com
・・・
本州の西の端から東京に来たのは、大学入学で。1987年、18歳でした。
途中、イギリス滞在もあったものの、2011年から数年を福岡市で過ごすまでは、ずっと東京でした(今は、また東京)。
福岡市で暮らした経験がなかったら、ここまで味覚が敏感になっていなかったでしょうし、舌の先祖返りもなかったでしょう。
東京から福岡市に移ったとき、それまで縁もゆかりもなかったし、もちろん全てが当てはまるわけではなかったけれど、でも私の郷里と物理的な近さから似通ったところも多く、
あぁ、子供の頃、こうだったな、とすっかり長くなった東京生活で自然と奥に追いやられていた味覚が思い起こされ、
東京に戻ったら、あっ、ここが違う、ここも違う、といちいち照合してしまうようになったのです。
東京に住み続けていたら、こうはならなかったはずです。
引っ越しが多い方だったのもあり、帰属意識が薄く、地元びいき、みたいなものもほとんどないのですが、
それでも体に刻まれているものはあまりに大きく、
仕事柄もあり、評価と嗜好は別という態度ですが(一致することもあります)、それとはまた別に、好き嫌いを超えた、細胞がザワザワし、体にしっくりなじむ味はあって、それはやはり子供の頃に培われたものが基軸なんですよねぇ。
私はバリバリのワーキングクラスのくせに、だしをたっぷりきかせた淡い上品な、角のとれたふくよかで丸みのある味が無条件に好きで、エリアと家庭の両輪からそういう味で育って、どうにもそういうのが落ち着きます。
なので、それまで、いいな、おいしいな、と感じたおでんの店はあったのですが、「大太鼓」で体がこれ!と喜んだのは、そういう理由もあるんなんだろうな、と自分で納得したのです。
・・・
予約を取らないと聞き、ホテルにいったんチェックインして、すぐに向かいました。
お店に着いたのは18時を回った頃。まだ夕暮れの名残があり、そうなんですよね、この時間、すでに暗くなっている東京とは1時間近く時差があるんだよなぁ、と感じながら。
いかにもちゃんとした料理を出す呑み屋、という店構えで、戸を開けると、店長さんかな、笑顔とともに「いらっしゃいませ」の威勢のいい声。
うん、いい感じ。
店内は壁を隔てて2部屋に分けれていて、どちらもカウンター席がメイン。奥の部屋に通されました。
さて、何にしよう。
天ぷら(練り物、ね)、大根、ロールキャベツ、春菊。
春菊は東京の苦みやえぐみが強いものでなく、関西の味や食感がやわらかいものともまた違った、ローマとも呼ばれるこのエリアの特有の、葉に丸みがあり(ギザギザでなく)、おだやかでやさしい味のもので、
これはいいだろうなぁ、と思ったら、やっぱりよかったですねぇ。
もう何十年も、この春菊の存在そのものを忘れていたのに、甦りますねぇ。
この春菊(ローマ/大葉春菊)にこのおでん、これ以上ないほど好相性ですねぇ。
このお店、具が大きい。
ケチケチしてなくって、うれしいなぁ。
ついで、トマト。
若松とまととあったから、若松(北九州市)のですか、と聞いたら、そうです、と。
何か聞きたそうな表情をしていたのを察したのか、「でも、僕、地元じゃないからよく知らないんですよ」と。
悪かった。。。
ファインダイニングなら、サービス料も払うわけだし、そういう知識とかの伝授も楽しみのひとつですが、
カジュアルな店だと、店主や料理長ならならともかく、スタッフの方にはそういうの求めていません、ご安心を。
カウンターには学生バイトのような彼と、同じような境遇と思われる男性とがいて、「○○君、カットするの上手だね」とか、奥の厨房にいた中年の女性と和気あいあいとやっていて、
そういうゆるさが心地の良さにつながるから、こういうお店はこれでいいんです。
サラリーマンがネクタイを緩めに来るところでもあるから、背筋を伸ばしてキリッとされると、却って困ります。
で、若松とまと。
これは、、、う〜ん、どうかな。
生か、それに近いサラダとかで食べる方が向いている気がしました。
若松とまとはおそらく、もともとは甘みもあるトマトだと思うのですが、火を入れたことで、ちょっと酸味が勝っちゃったなぁ。
いわゆる関東炊きなら、いいかもしれない。
(でも、まあ、若松とまとに関しては、地のものを使うのが第一義、なのでしょう)
その後、厚揚げと安岡ねぎを。
安岡って下関?と思ったけれど、スタッフのおにいちゃんは知らないだろうなぁ、と察して、何も聞かず食べるとします。
あっ、そういうことか!
このシャキシャキ感はふぐ刺しで使ってるネギだ!
ということは、安岡ねぎの安岡は下関で間違いないな。
これ系のネギだと、都道府県切りだと博多万能ねぎになるのでしょうが、地べたの文化圏としてはそうじゃないんですよねぇ。
私なんぞ、北九州市はこちら側、福岡市はあちら側、って思っちゃいますからねぇ。
おでんの具には、牛すじもあり、私は自分のおでんには必ず入れるのですが、だし用なので食べません(食べる牛すじは好みじゃないのです)。
「大太鼓」も鶏がらベースではあるけれど、たくさんの具材、そして牛すじも使っているから、味に深みがあるのかもしれません。そういう食文化圏ではないのに、はんぺんもあるのは驚いたけれど(っと、昨今は変わってきたのかな?)、見渡すと、周囲の水商売系のおじさんやおばさん、地元の人たち、だけでなく、出張で来ているサラリーマンも相当数いるようで、それで、かな。
おつまみもいろいろありますが、おでんをもっと食べたい。
次回来たときの楽しみとします。
にしても、、、
北九州市のお店は街と密接で、そこにある必然を感じさせるお店が多いところがたまらない魅力です。
単に食べる、じゃなくって、店に浸って店の佇まいとかやりとりとか全てひっくるめて、大袈裟な言い方をすると、そこのエリアの食文化を味わえて、しみじみうまい。
・・・
いたく気に入ってしまい、東京に戻って、早速鶏がらも買っておでんを作りました。
(私のおでんはこんなの(↓) )
東京でも入手しやすいところで、ローマ/大葉春菊にいちばん似ていると思われる、青梗菜をさっとくぐらせて食べてもみました(よかった!)
それまでおでんのロールキャベツはあってもなくても、だったのが、いいなぁ、となり、私のロールキャベツは鶏ミンチを使うので間違いなく合うでしょう。食べ続けたおでんがようやく終わり、これも試してみようと思っています。
wed 28/03/24
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雨の日の喫茶店 @ ドン喫茶店(北九州市)
http://ricorice.exblog.jp/30846178/
2024-03-09T00:00:00+09:00
2024-03-17T14:11:38+09:00
2024-03-08T21:38:36+09:00
ricoricex
日本の店レポート
小倉(福岡県北九州市)で1泊し、午後まで時間を過ごす。
さて、前日に若松をぶらぶらし、この日は晴天だったけど、雨の日はどんな感じだろう、と思ってみたり。旧安川邸に行こうか、北九州市立博物館 本館でやってる磯崎新展はどうだろう
(磯崎新もいいけれど(彼に非はないけれど、なんか頼りすぎじゃない、って印象なのよね。。。)、村野藤吾展をやってほしい(地元でしょ!)、っとすでにやったんだろうか。八幡市立図書館を観られなかったのは、本当に残念。。。)。
いずれも晴れの日だったら心踊る、だけれど、雨のこの日は、心理的にすっかり遠い。
近場で、中央図書館(不思議な外観だなぁ、と思っているので)か松本清張記念館か、それすらも大儀に思えてしまう。
とりあえず、コーヒーでも飲みに出かけよう。
ホテルをチェックアウトして、そういえば、と思って向かったのは、5年ほど前か、うろうろしているときに、ここにこんな喫茶店があるんだ〜、って気になっていたところ。
仕事でどこかに行くと、時間があれば、早めに、もしくは、終わったら少し滞在して、周辺をぶらぶらする。
多少の地の利こそあるけど、な小倉は、JRの駅から南下するようにのびるモノレールを境に、西側はぼんやりわかる、でも東側は知らない。
そのとき、東側で用事があって、本当の(という言い方もなんですが)飲食店もこっちにいろいろあるのか〜、と感じると同時に、駅のすぐ近くにこんな喫茶店が健在なんだ〜、と感心したのだ。そのときは時間が合わず、入らなかったんだけど。
「ドン珈琲館」
なんだけど、
入り口の看板には「篆刻 喫茶」とある。
(後で聞いたら、マスターが篆刻をなさっているそうです)
扉を開けると、チョコレートを思わせる、甘い香り。
あ〜、自分で焙煎してるのか〜。
ジャズがいい音で鳴っている。
店内のインテリアも、外側よりもさらに、年季が入って、飴色の雰囲気。
うわぁ〜、これは相当、私好みですよ! しびれる!
どっぷり浸かりたい。
入れ替わりで近所の人と思しき若者が出ていき、お客は私ひとり。
「モーニング?」と聞かれて、頷く。
萩焼きをぼってりとさせたような(手作り?)のカップ&ソーサーになみなみとコーヒー。
こういうカップ、私が子供の頃の喫茶店でよく見たな〜。
コーヒーはやわらかい甘さを感じさせ、私自身はもう少し苦味のあるものが好みだけど、これはこれで。
添えられたのは牛乳でなく、ホイップクリーム。
のっけたら、ウィンナーコーヒーになるんじゃない? それをブレンドとして出していいの?
私はコーヒーフレッシュ(ポーションミルク)が好きじゃないんですよ。。。なので、余計にありがたくって嬉しい。
サンドイッチは軽くトーストした食パンに、卵、トマトときゅうり。
私はマヨネーズが得意じゃないけれど、たっぷりめも悪くないな〜。
それよりも、食パン。薄い。一般的な8枚切りよりも薄い(多分)。
西日本は食パンは厚いのが主流で、スーパーマーケットなどでは8枚切りを売ってない。
OCM同様、ここもシロヤの食パンだろうか。そして特別にスライスしてもらっているのだろうか。
サラダもついていて、きゅうりの斜めスライスに、くし切りにしたトマト、キャベツの千切り。
私が実家に帰ると登場するのもこれ。
母が喫茶店で働いていた経験があるからで、どうにもこういう盛り付けをしたくなるみたいです(笑)。
・・・
外はまだ雨。
やみそうにない。
もうどこにも行きたくない。
あまり移動しないで、後回しになっていた本や資料を読んで過ごそう(結局、喫茶店を3軒ハシゴした、という(苦笑))
食べ終わったお皿を下げながらマスターが、
「まだ、います?」と聞いてきたので、
「もう少しゆっくりさせてもらっていいですか。コーヒーもまだ残ってるし。でも、他のお客さんの様子とかで、その方がよければ出るので、遠慮なく言ってください」
「いや、ちょっと買い出しに行きたくって。近くの八百屋がね、10時開店なの」
「そういうことでしたら、遠慮なくゆっくりしてます」
そうして見送ったはいいんだけど、ふと、見ず知らずのお客(私のことね)を残して、金銭や物を盗まれるとか思わなかったんだろうか。そして他のお客が来たら対応すると思ったんだろうか(「マスター、今不在ですぐ戻ります、ちょっと待っててくださいね」くらいは言うけどさ〜)、なんて思ったら、笑ってしまった。
大きな買い物袋を携えてマスターが戻ってくる。
「お帰りなさい」と言って、お互いににっこりして、少し話をする。
最初はややぶっきらぼうな方のかな、と思ったけど、そんなことなかった。
商売柄か、ずっと喋ってるってことはなく、適度な距離はありつつ、それでも人懐っこい感じ。
オープンして50年ほど(といってたような。。。)とのこと、古賀(市)が本店でそちらは奥様がやってらして、マスターは小倉のこのお店に通ってるとのこと、etc。
弥太郎という大きなインコがいて、大きいなぁ、と思ったらそういう種類だそう。絵葉書をもらっちゃった。
コーヒーをもう1杯お願いして、本に戻る。
静かな空間、壁にかかった大きな時計が1時間おきに時を告げる。
11時を回ってしばらくすると、ランチ目当てのお客さんが来始めたので、お店を後にすることにする。
ハンドピックをなさっているところで、この方は喫茶店のプロなんだなぁ、と感じ入ってしまった。
モーニングが500円(税込み)なら、ランチのカレー(ビーフ、チキン、ポークの3種類)はコーヒーがついて550円。
この値段でいいのでしょうか!(ちなみにブレンドは400円)
私、普段、カレーをそんなに、特に仕事があるときは食べないのだけれど(口の中に香りと味が残るから)、値段だけでなく、ここのは惹かれるなぁ、相当好きな感じ、と踏んだ、特にチキン。
あと、ケーキセットも食べてみたい。
thu 29/02/24
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ランドマークという矜持 @ 喫茶去(福岡県北九州市小倉)
http://ricorice.exblog.jp/30837648/
2024-03-05T00:00:00+09:00
2024-03-12T18:54:11+09:00
2024-03-03T14:38:33+09:00
ricoricex
日本の店レポート
旅、に関わらず、訪問先でぶらぶらするのが好きで、でも、ピンポイントでここ!以外は予備知識をできるだけ入れない。予定もみっちり立てない。
ここには行く!ってところも休業日と営業時間と、ざっとした内容、くらいかな。
なんというか、確認作業をするようなことをしたくないんですよ。ライブの前に曲を聴いて復習とかもしないし。そのとき、その瞬間のこうしたい!を最優先して、ぼんやり思っていた予定や予想と違って構わないし。思いがけず、のそれが楽しければいい。そこに期待している部分もあるし。できるだけまっさらな気持ちで新しいことに出合いたい。
もっとも、仕事だと下調べをするから、その反動、かもしれないけれど(下調べをして、いったんまっさらにして、現場に向かう、って感じ、かな)。
・・・
その日は朝から雨で、その予定ではまったくなかったんけれど、とにかく傘をさして歩きたくないなぁ。
で、パッと思い出して、傘要らずのアーケード街の中にあるじゃない!
10年来行きたいな〜、と常に頭にあったところでランチとしましょう。
2011年夏に福岡に移ったときに(今は、また東京)、物理的に近くなったから、
興味を持っていた、シュガーロード(長崎街道)を歩いて調べてみましょう、となりました。
起点は北九州市・小倉。
調べていると、長崎や佐賀のように、江戸時代からの伝統や面影を伝えるお菓子(南蛮菓子)が残っていない。
でも、小倉藩主の小笠原氏は戰、ではなく芸術好き、だったような。。。(私は、歴史に疎い)
とすれば、茶の湯も嗜んでいただろうに、なんでお菓子が残っていないんだろう。
さらに調べていたら、あったんです。
それは「鶴の子」。
喜弔菓子で、予約を受けて作っていて、店頭には置いてないんですね。
ちなみに、商品紹介のウェブサイトではわからないけれど(↓)、
https://www.kogetsudo.com/product/keicho/01.html
見るからに優美なお菓子で、落雁に白餡が入ったものです。
(「石村萬成堂」のマシュマロ菓子「鶴乃子」は別物です)
すぐさま、食べてみたい! と予約を入れました。
(このあたりはこちらのリンクからどうぞ(↓))
https://ricorice.exblog.jp/19701754/
https://ricorice.exblog.jp/19765934/
そして、勝手に、自分の興味が赴くままにこんなことをしていたら、
太陽の地図帖『郷土菓子』でシュガーロードを担当する機会をいただきました(↓)。
https://ricorice.exblog.jp/21338507/
そこで、(正式に?)「湖月堂」に訪問しました。https://www.kogetsudo.com/
取材&撮影で指定された場所は、北九州市・小倉の本店。
JR小倉駅から近く、魚町銀天街アーケーの中にあって堂々とした佇まいのお店です。
そして、そのときに初めて知ったんですね、喫茶室もあって、かつ立派だってことを。
確か、このフロアは予約のみで、他のお客さんに気兼ねもいらないから、と3階に通された、ような。。。
当時の正確な様子はわからないのですが、という枕詞はつくものの、「鶴の子」のお話はおもしろかったし、
とても協力的で真摯にご対応くださいました。
肝の話がほぼ終わって、あれこれ話しているときに、喫茶室「喫茶去」(↓)に話がおよび、
https://www.kogetsudo.com/shop/kanmi.html
甘味だけでなく食事もできるんですよ、とメニューも見せてもらったり案内してもらったり。
これはいいな、次は来なきゃ、と思いつつ、小倉に頻繁に来るわけではないけれど、なまじ駅至近でアクセスしやすいがゆえに後手に回っているうちに、歳月は経ち、
そうして、ようやく。
雨でなかったら行ってなかったと思います。雨でよかった!
10年以上経ってやっと、不義理を解消できた気持ちにもなりました。
・・・
てっきり2〜3階が「喫茶去」と思っていたら、通されたのは1階奥。
販売スペースの奥も喫茶室になっているのは知りませんでした。いや、説明してもらったかもしれないのですが、記憶から抜け落ちていました。
12時前で、まだ1階に席に余裕があったから、近いところからお通ししましょう、ってことでしょう。
案内されながら、販売スペースの奥にこんな広いスペースがあったんだ、とびっくりしました。
喫茶室は、坪庭の三方を取り囲むようにしてあり、そして、フロアもゆったりなら席もゆったり。
内装や調度品の格子のモチーフの意匠が目を引き、とっさに思い起こされたのが、
イギリス・グラスゴーにあるマッキントッシュゆかりの「ウィロー・ティールーム」(↓)。
上記のブログ記事では、店内の写真をあまり掲載していないのでわかりづらいかもしれませんが、
建築家、マッキントッシュは日本の影響を受けていて、障子などに着想を得たであろう、グリッドで直線的な意匠もあり、「喫茶去」では、それを連想させたんですね。壁の白い飾りなんかもそうだし、椅子のクロスもマッキントッシュのローズを思わせるし。
壁の照明も、フランク・ロイド・ライトのタリアセン、かな? これも日本の影響を感じさせるものですし。
・・・
注文は、季節なので、おひな御膳を。
酢飯が、酢がキリッとしていて、なんだか懐かしい。子供の頃の家のお寿司(押し寿司)がこんな感じでした。
小皿に盛られたあれこれも楽しい。
お吸い物はふんわりおだやか。
菱餅なんて、何十年ぶりに食べたかも(私はお餅を好んで食べないので)。
そして、見た目も、ですが、量も上品なこれでは食べ足りず(苦笑)、
そもそも甘味処だもんね、を言い訳に、メニューを眺めていたら、ぜんざいがある。
こないだ東京・有楽町の「おかめ」で食べたぜんざいが汁なしで、あっ、そうだった!となったのでした(↓)。
https://ricorice.exblog.jp/30796773/
私が知っているぜんざいはこっち(汁あり)、と確認したくなって、オーダー。
丸みのある甘さでとろんとして(食感、というか、佇まいが)、どん!と主張するタイプでなく、好みですねぇ。
私は通常のメニューで注文しましたが、デザート用に食事とセットにできる半量ほど(とお店の方がおっしゃってました)のものもあります。
周りを見渡してみると、温かい飲み物はポットで提供しているようで(全部ではない)、
そうね、“水商売は水で儲ける”わけだし、まだゆっくりしたいし、何か飲みましょう。
紅茶が2種類、和紅茶が2種類、いずれもティーポットで。
あのですね、紅茶がおいしいお店って、ほんっと少ないんですよ。
私は茶葉でもティーバッグでも、どちらでもよくって、
別段、茶葉だから高級、ティーバッグだからカジュアル、とも思っていません。
ポットの中で対流がどうの、はあるでしょうが、ひとり分、カップ2杯分だと、そこまで気にしなくていいかな〜、なのです。
それよりも、ポットとカップを温め、(基本、水道水の)熱湯を注いで欲しいし、それであればそんな難しくないのでは、と思うのですが、なかなかお目にかかれない。
メニューを眺めていたら、ここは大丈夫!と確信。
迷ったけど、アールグレイにしてみましょう。
アールグレイは配合によって、(味、というよりも)フレイバーが相当異なります。
なんだかんだで、私のアールグレイの基本はジャクソンで、ジャクソンでなくてもイギリスのものが好み。フランスのメーカーとかが作っているものは、香水っぽいというか、華やかさが勝って、あまり好みではなんです。。。
アイスティーやお菓子に使うのにはアールグレイがいいから常備しているものの、ホットの紅茶で飲むことは少ないんですよね、ミルクティーには微妙だし、合わせるものも迷うし。
あっ、これはいい!
アールグレイは香りが立ちすぎず、おだやかなタイプ。
そうよね、そもそも甘味処なので、まずはお菓子や食事ありきですよね。
そして、添えられたミニきんつば。アールグレイがこれによく合う!
アールグレイって合わせるものが定まってなかったんです、私。
オリエンタルな感じもあって、スパイスやドライフルーツをたっぷり使うものの他は、一般的な洋菓子はなかなかむずかしい、というのが私の経験値。なのでフルーツケーキとはには合うものの、それが最適かというと、そこまでではないような。。。
でも、餡子、餡子が前面に出るものはいい!
きんつばと合わせる、なんて発想、私にはなかったなぁ。
通常サイズのきんつばって私、途中で飽きちゃうんだけど、この小さいサイズってのもいい。
(後で売店をのぞいたら、100円でお釣りがきて、きんつばっぽいのが3種類ありました)
・・・
スタッフの方はちゃんと人数がいるけれど、オーダー自体はタッチパネル。
お茶やお水など、目が行き届いてるし、物腰もやわらかくって、マニュアル通りではなく、一言二言添えてくれるのも心地いい。
レジで会計をしたときに、印字されたレシートをピシッとのばして渡してくれたのは、感動したなぁ。
そして、ジャズがBGMだったのが音が変わったな、と思ったら電子ピアノの生演奏が入って(懐かしの洋楽系)、うわぁ〜、(今の時代でも)ランチタイムでもこういうのやるのか、と驚きました。
割り箸も長めでいいもの。箸袋も食事と甘味で変えていて、小皿のおかずの爪楊枝も竹のもので、爪楊枝も袋に入っていて、ナプキンもお店のデザインが印刷してあって、菱餅が入った器も素敵で(欲を言うと、黒文字だとよかったなぁ、フォークではなく)。
外食って食事そのものも大事だけど、むしろ、その向こう側や周辺、私はこういうの、食器とかもだし、調度品もだし、季節の花とかもだし、にはお金をかけて欲しいし、生演奏もだし、家では体験できない、そこにお金を払いたいから。
今の時代、ムダなこととされ、削減しようとするところこそ、大事なんですよ。それが文化であって、それに触れることで、心が豊かになって満たされるんじゃないかな。
とはいえ、なかなかに厳しい時代。なので、注文を取るのはもはや人でなくていい、簡素化できるところは簡素化して、残すところは残して欲しい、と切に願うのです。
私がお店に入ったのは平日の12時前だったけれど、すでに満席に近く。
でも混んでいていも、追い立てられる感じはまったくしないので、追加で注文をしつつ、長居してしまいました。
グラスゴーの「ウィロー・ティールーム」にしろ、この「喫茶去」にしろ、周囲の人を見渡すと、
観光客もだし、地元の人たちもだし、地元の人がよそから来た人を連れて行くところでもあるんだなぁ。
マッキントッシュがグラスゴーの(ある意味)名士でありシンボルであるように、「湖月堂」も、松本清張が愛した、ってこともあり(今もそういう導入になるの、かな?)、和菓子屋の代名詞的存在でしょう。
よそから見ると、どちらのお店もその土地の食スポットのランドマーク。
そして、こういうところは、ここをきっかけにそのエリアを掘りたくも、場合によっては、これ以上はいいかな、の物差しにもなるんですよね。
thu 29/02/24
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ロイヤルホストの葛藤
http://ricorice.exblog.jp/30823745/
2024-02-24T00:00:00+09:00
2024-02-24T23:47:42+09:00
2024-02-23T22:39:03+09:00
ricoricex
日本の店レポート
今週が始まったときから、ロイヤルホスト気分にすっかり占領されて、いよいよ我慢できず、行きました。
私にとってのロイヤルホストは、パンケーキでも、オニオングラタンスープでも、コスモドリアでもなく(いや、これらも食べるんですけど、ね)、
ステーキを食べに行くところなのです。
私は脂、油が得意でなくって、とにかく赤身のchewyなお肉が好き。
値段を考えても良心的で、安定のおいしさで、食べたくなると行ってしまうのです。
ここのところ、ステーキサラダを頼むことが多かったので、原点回帰、ステーキを食べる!のです。
で、ここからが悩みどころ。
200gだと全然足りない。ワンポンド(約450g)だと多い。多い、というよりも他のものが食べられなくなる。
ワンポンドだと5000円を超えるのにビビる、ってのもあります(小心者。。。)。ファミレスで一皿5000円超えは心理的なハードルが高い、のです。
う〜む、どうしたもんか。。。
最初に頼んだノンアルコールビールを飲みながら、メニューとにらめっこ。
デザートのパフェもしっかり食べたい気分だったので、
200gのステーキと、パンとで様子を見るとします。
ステーキ200g。
やっぱり足りない(苦笑)。
もう一度メニューをもらいます。
もう一品何か食事メニューを頼むか、どん!とデザートにいくか。
何か料理を食べると、ステーキを食べた満足感がぼやけてしまうので、デザートにしましょう。
ちょうどいちごフェアで、デザート仕立てのパフェもよかったんですけど、
クレームブリュレとかプリンとかではなく、素直なパフェがいいなぁ。
どうしても、私のロイヤルホストのデザートの定番、ホットファッジサンデーに目がいってしまいます。
芸がないなぁ。
なので、プチストロベリーパフェ、にしました。
が、案の定、“プチ”だと食べ足りず(苦笑)。
・・・
ちゃんと策を練らないとだめだなぁ。
ステーキ200gなら、パンをつけなくって、フライドポテト、オニオングラタンスープ、シェフサラダあたりと合わせるといいかもしれない。
そして、締めに少しだけ甘いもの、と。
ところで、メニューにフィッシュ&チップスがあって、驚いたんですけど、最近加わったのかなぁ。
写真だけ見ると、これじゃない、、、になったものの、ちゃんとモルトビネガーを添えている、ってのに、心動かされちゃいましたよ。
肝心のフィッシュ&チップスも食べてみないとわからないですし、ね。
気になってチェックしたら、去年、2023年12月6日からグランドメニューに加わったんですね(↓)。https://www.royalhost.jp/news/images/231020_nr_grandkaitei_shisaku.pdf
夏の英国フェアで人気だったので、昇格した模様。
そうですか!
私がこの前行ったのは12月頭だったので、グランドメニュー改定直前だった、ってことですね。
・・・
私は、東京本部のある、桜新町のロイヤルホストが好きで、可能な限りここに来ちゃって、今回もそう。
1990年代は桜新町に住んでいて(駅の反対側だけど。当時は、こちら側に位置する桜新町駅前店はまだありませんでした)、なじみがある、ってのもあるのですが、
ファミレスに夢があった(今もありますが)頃の内装とかも好きで、
大きな窓から246を眺められるのも、郊外、とまではいかないけれど、世田谷の住宅街の地元感もあって、同時に、お客さんが醸し出す、店内の雰囲気もいいんですよね。。
加えて、ドリンクバーでないのが気に入っていたのに、
周囲の人の様子から、えっ、ドリンクバー?と思って、確認しに店内をうろうろしたら、ドリンクバーができてました。
去年の12月頭に行ったら改装休業だったのは、ドリンクバーの設置が理由だったのでしょうか。。。
あ〜、残念!
でも、人手不足の今、致し方ないのでしょう。。。
気を取り直して、っと。
桜新町のロイヤルホストにはカウンターもあるんですね。
この席も好きで(カウンターの中にスタッフはいません)、
ステーキもいいけれど、フィッシュ&チップスをメニューに見つけたし、今度はロイヤルホスト桜新町店でカウンター飲み、をしようとも目論んでいます。
thu 22/02/24
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カフェ八角塔(東京)
http://ricorice.exblog.jp/30811155/
2024-02-17T00:00:00+09:00
2024-02-23T22:33:03+09:00
2024-02-16T21:55:43+09:00
ricoricex
日本の店レポート
近くにいて、本家詣でもよかったんだけど、軽く食べていたので、
「ラーメン二郎」をデザートにするにはあまりにヘビー。
あっ、そうだ、でも、時間大丈夫かな、と思いつつ、向かったのは、慶應義塾大学。
図書館旧館1Fが「カフェ八角塔」として、一般にも開放されているんですね。
https://www.instagram.com/cafehakkakuto/
三田通りにある東門をくぐって、すぐのところにあり、1912年に竣工した赤いレンガにアーチ型の窓が特徴的なゴシック様式の建物でお茶ができるとは! ここは行きたい!
時間を心配したのは、14〜15時は休憩で、向かおうとしたときはすでに13時を回っていたからです。
カフェ内に通されると、混んではなく、学生と教授と思われるグループが2組。
すぐに席に案内されたものの、時間が時間、でも、ちょっと何か(ケーキとかではなく)食べたいな〜、だったので、スタッフの方と相談して、比較的早く出せる、とのことで、タマゴサンドイッチとコーヒーのセット1300円、としました。
提供されるまで、奥(角)のご自由に見学ください、のゾーンをうろうろ。、じーっと眺めたり、写真を撮ったり、落ち着きがなくて、すみません。
まず運ばれてきたのは、サラダ。3種類も入っています。
生野菜にフレンチドレッシング、ポテトサラダ、キャロットラペ。
フレンチドレッシングとポテトサラダとが自家製かどうかは???ですが(自家製がいい、という意味ではありません)、キャロットラペは明らかに作っています。すーっと繊細な細さにほんの少し、クミンがきいています。
これ、アレンジして作ろう! 私は、キャロットラペは粗い包丁で刻んだようなにんじんが好みなので、チーズグレーターで繊維を断つようにおろして使うのですが、これにクミンを軽く炒って合わせるとしましょう。
ローストした胡桃を粗みじん切りにして加えるのは、やりすぎ? オレンジジュースを少し加え、シャープな味は得意ではないので、普段はワサビもマスタードも使わないけど、ディジョン・マスタードはちょっと欲しいな。
そんなことを頭の中でぐるぐる。
タマゴサンドイッチは断面にディルをあしらって、かわいらしく。
ボリュームがあるのに驚きました。
卵サラダは、1皿で卵2個は確実に使っています。
黒コショウをきかせ気味にしているのは、食べ飽きさせないため、かな。
この卵サラダと食パンの相性がよくって、耳までやわらかく、うまみもあって、なんだろう、この食パン。
市販のものでないのは明らかで、街のパン屋さんのものではなく、かといってアルチザンベーカリー/ブーランジェリーのパンドミともどこか違う。あえて言えば「ペリカン」の食パンを今の時代に正面から沿わせたような(味や食感は違う)。
「タマゴサンドイッチ、おいしいですね、この食パンに合いますね」と言うと、「えっと、近くの、あそこです、ちょっと待ってください」と。
近くだと、どこだろうな〜、と思ったら、「銀座に志かわ」でした。
そういえば、コロナ禍に慶大近くにオープンしたことを思い出しました。そして、この食パンが、初めて食べたにも関わらず、「銀座に志かわ」だということに妙に納得したのでもありました。
コーヒーもすっきりとして心地よい苦味もあって、いい。
豆、よりも淹れ方、かな。サイフォンかネルドリップ、な気がします。
このカップ&ソーサーがまたいいじゃない、喫茶店らしくって。
サンドイッチにしろコーヒーにしろ、多分他のメニューもそうでしょう、かつての喫茶店にちゃんと敬意を払いつつ、今の時代感も取り入れた、ネオクラシックさがいいなぁ。
なんというかですね、こういう文化遺産的なところのカフェって、ふさわしいメニューをとかってうたっている割に、イマイチだな〜、でもそういう空間で飲食できることに価値があるから文句は言いません、こんなもんかな〜、なところは少なくないけど、
「カフェ八角塔」は食事にしろコーヒーにしろ、とても丁寧に作ってあって、その姿勢に好感が持てる、というか。接客も、一生懸命な感じがとても気持ちよかった。
また来るとします。
thu 15/02/24
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ランチ@川さき(東京)
http://ricorice.exblog.jp/30801204/
2024-02-15T00:00:00+09:00
2024-02-15T00:08:33+09:00
2024-02-11T11:22:48+09:00
ricoricex
日本の店レポート
少し前に、30代の女性2人組がお店に入っていく姿を見て、
コロナの頃はお休みしてたし(確か)、日が暮れてこの界隈を歩くことは滅多になかったので、
ああ、ここやってるんだ〜、と。
どんな料理を出すんだろうと近づくと、あっ、お昼も営業している。
夜は気軽な割烹で、昼は天ぷらが食べられ、定食も天丼も990円とは!
今日の陽気に誘われて、ランチに向かいました。
引き戸を開けて入ると、左手に小上がりで2卓、進むと厨房を囲むようにL字のカウンター。
柔和なご主人とよく気がつくおかみさん、と。
カウンターだったので、目の前であげた天ぷらを数回に分けて
(小上がりの席は、すべてあがってから器に盛って、出してらっしゃいました)。
最初に、セッティングとともに、突き出し(お通し)のイカと大根の煮物も出てきて、これを食べながら、天ぷらを待ちます。
煮物はやわらかくって味が染み込んでておいしい。ビールか何か欲しくなります。
えびと穴子、菜の花、きすと舞茸、えび。
大きなボールに太い箸で横に切るように衣を混ぜる。
具をくぐらせ、油に落とし、音が小さくなったら、天ぷらを取り出す。さっと油を切って、少しおいてから出してくださいます。
カウンターという特等席ゆえ、一連の工程が目の前で見られるのが嬉しい。
油はゴマも使っているんでしょうけど、前面に出てこない。穏やか。
軽めの衣で、サクッとした天ぷらは、天つゆと、大根おろしに生姜、お塩、で。
天つゆがおだし強め、(塩)からくなくって、やわらかい。
このお店は、天ぷらに関しては、全体的にやさしい味わい。
私は天ぷらは天つゆに浸して食べたいので、すべてそうしたけれど、最後のえびは塩でもよかったかも。
お味噌汁は大ぶりのしじみ。
お漬物は数種類が入って、いい箸休め。
ご飯は2杯まではおかわり自由ですが、しませんでした(笑)。
にしても、これで1000円でお釣りが来ちゃうなんて、申し訳ないなぁ。
オープンして20年くらい、といったところでしょうか。
それなりに年数は経っているけれど、店内が清潔で、目が行き届いている。
料理も、だけど、ご主人が味見をしてらっしゃる姿など、どこかで和食(懐石料理)の基礎をしっかりなさった方なんじゃないかな。
お会計のときに、おかみさんがお札を両手できちんと受け取ってくださったのも、それは珍しくはないんだけど、その立ち居振る舞いがきっちりしていて、印象的。
そして、BGMがひと昔前の洋楽(という言い方も古いですね)で、入店してすぐに流れ始めたのが、プロコル・ハルムの「青い影」。
不意打ちで時間軸がぐちゃぐちゃになり、時を一気に、初めて聞いて衝撃を受けた中学生の頃に引き戻されたようで、このまま死んじゃうんじゃないか、と思ってしまいました。
小上がりにいたのは、土曜日ということもあって、なじみとおぼしき親子連れ2組で、
棚にはボトルキープの焼酎が並び、ここは近所の人たちが来る店なんだなぁ。
「川さき」の最寄駅は学芸大学で、15分ほど歩く。武蔵小山からだと20分かからないくらいかな。
住宅街にあるお店で、こういう手軽で気軽で、当たり前のことをていねいにやっているお店って、グルメガイドやタウンガイドの対象にはほとんどならないから、
ご近所を中心に、知っている人でないと来ないでしょう。
コロナがひと段落して(?)、特に、最近の私は、
こういう、一見なんてことない(本当はそんなことないんだけど)、日常に根ざしたお店がますます気になって、ますます足を運ぶようになりました。
ファインダイニングや、最新のアイディアを盛り込んだり、伝統を解釈したり、そういうお店での驚き、皿とその向こうの文化を知るのは楽しい。
同時に、ハレ、ばかりでなく、ケも大事にしたいんですよね。だって普段の食事は、チェーン店やファミレス含め、後者にお世話になっているから。
「川さき」は夜はコースもあり、天麩羅で4400円だけど、おまかせの5500円〜を試してみたいな。
突き出し(お通し)のイカと大根の煮物がよかったので、天ぷらの他の料理も食べてみたい。
おまかせコースの5500円が、前菜、刺身、椀、焼物、煮物、天麩羅ご飯、というのもあまりに良心的、な気がします。
sat 10/02/24
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ぜんざい@おかめ(東京)
http://ricorice.exblog.jp/30796773/
2024-02-09T00:00:00+09:00
2024-02-11T11:16:15+09:00
2024-02-08T21:12:47+09:00
ricoricex
日本の店レポート
珍しく、私にしては珍しく、ぜんざいを食べたくなって、交通会館の「おかめ」(有楽町、東京)へ。
甘味処に行くことも食べることもあるけれど、たいてい、あんみつ/みつまめ、なので。
よかった、席がある!
奥の席に通され、迷うことなく注文すると、汁気がなくって、あっ、そうだ、そういうことだよ、となる。
田舎しるこ、メニューにあったかな。
でも、久しぶりのたっぷりの小豆、そして4年以上ぶりにお餅、おいしくいただきました
(ここ4年、お正月に帰省してなくお雑煮を、もともとお餅が好きではないので、食べてなかったのだ)。
民藝調の店内や食器もいいの。
目の前の壁には、つがい(?)の鳥ののれん。
これ、いいな。欲しいな〜。
thu 18/01/24
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10年後の年賀状
http://ricorice.exblog.jp/30789662/
2024-02-06T00:00:00+09:00
2024-02-06T00:06:18+09:00
2024-02-05T21:52:39+09:00
ricoricex
日本の店レポート
「ボンジュール」の山田雅士さんに、2014年の年明けにいただいたもの。
「ボンジュール」は福岡市にあった街のパン屋で、2013年6月1日閉店。
片づけをしている中で、紙袋とシールが出てきて、
私自身が利用したのは短い間でしたが、とてもいい店だなぁ、と感じ、11年前に閉店したときにお話をうかがいに訪ね、あれこれ思い出し、
記憶を整理して記録に残しておこうと、まずはFBにアップし、さらに見直し、以下、ブログに移管(↓)。
これをやり終えた後、数日前から目について、どうにも視界に入ってくるので、手紙や葉書の束を見直しました。
驚きました。
「ボンジュール」の山田さんにいただいた年賀状があったのです。
4年前の引っ越しの時に整理し、そのときにとっておいたんですね、私。完全に忘れてました。。。
・・・
ご自身の住所には、もう店名はありません。
でも、シールが貼ってあります。
いくつか手書きの言葉が綴ってあり、
“今は朝目覚めて二度寝が出来る幸せを感じています。”などの近況とともに、
“想い出が一つできました。“ともあって、これは前の年に話を聞きに行き、秋に発表できたことに対してで間違いなく、
おそらくリアルタイムよりも、4年前よりも、今の方が、沁みます。
今回、改めて書いたことへのねぎらい、に感じられました。
胸がいっぱいに。
ラジオをきって、しばし、さめざめと。
そして、不思議なことに、十分尽くした、という気持ちにもなりました。
尽くした、とは相手に対して何かをしてあげた、ということではなく、自分の中でできるところまで悔いなく出した、というか。
これは捨てられない、と思った紙袋もシールも年賀状も、感謝とともに手放せそうです。
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「ボンジュール」のこと --追記 2-
http://ricorice.exblog.jp/30786272/
2024-02-05T00:06:00+09:00
2024-02-05T17:40:04+09:00
2024-02-04T12:09:49+09:00
ricoricex
日本の店レポート
<これまでの話はこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786268/>
前回に続き、取材後記、みたいなこと、
私が書けなかったこと(なぜ書かなかったのか)を、記しておきます。
・・・
福岡市は、人口から見ると、東京の1/10規模ですが、まんま縮小かといったら、そんなことは当然なく、まったく違う。
飲食店もあり方も構造も違う。何もかも違う。
「ボンジュール」に山田さんを訪ねたとき、
製法や商品開発などの話は訊ける、
日本の中で福岡という西の場所においては、1970年代、神戸が修業先だった、というのも、よくわかる。
それは物理的な距離(の近さ)だけでなく、神戸という街のあり方も大きかったからでもあった、と推察されます。
神戸の「ドンク」が東京・青山に出店したのは、1966年。
日本のフランスパンが広がったのはここから、と私は捉えていて、実際そうだったんじゃないかな
(「神戸ポートピアホテル」も牽引役を果たした(であろう)日本におけるフランス料理、コーヒー(喫茶店)文化など、この当時の神戸はきちんと検証しておかないとなぁ、と思っています)。
青山というと、私が行くようになったのは上京してから、1987年以降と時代がもう少し後で、このエリアのパンというと、私には「アンデルセン」でした。
「アンデルセン」は何度か取材する機会もあり、それも私には日本のパンのあり方の変遷を理解するのに貴重な場でした。
企画に沿った話をする中で、その向こうにあるものを踏まえておくための振り返りは必要で、長丁場のときはスモールトークをすることもあります。
広報の方が同世代の同郷で、パンのバックグラウンドに私と似通ったところが大きく、その方自身がパンに興味を抱き、ついには入社された、という話に端を発し、「アンデルセン」のことだけでなく、もっと広げて時代の変遷と日本のパンの流れなども話してくださったり。
今はなくなった青山店など、「アンデルセン」は東京での取材でしたが、本店のある広島で話を聞きたい。
(筆で有名な広島の「白鳳堂」で出している雑誌「ふでばこ」で2回特集されていて、これらも貴重な記録)
話が逸れましたが、こういう俯瞰で普遍的なことは、多少はこちらにも知識があるし、難なく話ができたのですが、
問題は、地元の感覚。
住み始めて2年経ってない当時は、わからなくって。
材料や製法は、食パンやフランスパンについてもききました。
が、追って掲載の場をもらったときに、いちばん“らしさ”が感じられたクロワッサンに絞りました。手元にある確かな記録もこれだけ。
「ボンジュール」のクロワッサン/シナモンクロワッサンは食べたときの印象だけでなく、お話をうかがったときに教えてもらった材料も、この店ならではの特徴がある。クロワッサン生地に砂糖を入れないとは。
一般的な製法とは異なるやり方に、そうだったのか、と驚きました。
福岡市の中の大名という街の移り変わりや、福岡におけるパン屋事情とか、売れ筋商品(の変遷)とか、味覚とか、近隣の飲食店にも卸しているとか、
こういうのも訊きはしたんです。そして答えてもくださいました。
でも文字にすると、どうにもただの聞き書きになってしまう、血が通っていない。
なので書かなかったし、書けなかった。
あと1〜2年後だったら、もう少し書き残せただろうと思うと、それが残念です。
・・・
まだ福岡に住んでいたとき、私の仕事が東京のメディアがメインだったのは、ここなんですよね。
東京のメディアが結局、東京から取材スタッフを送り出すのも、よくわかる
(ここで言っているのは、対象が東京ローカルではなく、東京=日本全国)。
視座が違う。読者が違う。思考も嗜好も違う。まったく違う。
かろうじて複眼(東京もしくは日本、そして地元としての福岡)を持てるようになった、というよりも、少しはわかるようになったけれど、だからといってどっぷりではなく、ものすごいジレンマ。取材先も届ける先も地元対象の仕事はいつも悩みました。
でも、ネットが優勢となり、情報の垣根がなくなっていって、
国単位で考えても、国内というローカルだけを対象、内輪だけで通じる前提、とはいかなくなっていて、
どうしてもそれをするなら、違うところからの視点がわかった上で、そこでしかできない切り口を考え抜くしかないでしょう。
そんなことを強く感じる今日この頃でもあります。
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「ボンジュール」のこと -追記 1-
http://ricorice.exblog.jp/30786268/
2024-02-05T00:05:00+09:00
2024-02-05T00:06:48+09:00
2024-02-04T12:05:48+09:00
ricoricex
日本の店レポート
<これまでの話はこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786221/>
今回と次回は、取材後記、みたいなこと、
当日の様子、書けなかったこと(なぜ書かなかったのか)を記しておきます。
・・・
申し分がないほどの晴天でした。
2013年初夏の午後、陽射しがまぶしく、半袖でもよかったかな、な天候で、梅雨前で湿気もなく、本当に気持ちのいい日でした。
話を聞きにお店を訪ねたのは、「ボンジュール」閉店から2週間後だったと記憶しています。
話を聞きたい、と連絡を入れたのは、閉店の1か月くらい前でした。
ちょっと考えられて、閉店してしばらくしてからでもいいですか、と。
いつでも構いません、と答えて、約束をし、
難しくなったら仕切り直すかなしにしましょう、と付け加えました。
約束した日時に行くと、程なく、住居のある上の階から階段を降りてらっしゃいました。
正直、ギョッとしました。
老けて見えるとかヨボヨボとかということではなく、歩くのもようよう、疲弊してらして、そこから回復できていないのがよくわかったからです。
連絡を入れたときも感じ、このとき挨拶をして、
タウンガイドといった店紹介の取材は多くあっても、掘って話を聞く、というご経験がほとんどないことがわかり、レコーダーを出すかどうか迷い、少し様子を見ることにしました。
レコーダーは尋問しているように見えるんですね、じっくり話を聞く取材に慣れてらっしゃらないと、ぎくっとした反応をされるのはよくあること。
少しほぐれたところで、録音してもいいですか、と訊きました。
というのも、年号、店名や商品名など固有名詞が出てくるんですね。メモをとりながら、とはいえ、山田さんの言葉もきちんと記録しておかないと。
非常に穏やかな語り口でした。
ときどき笑いながら、いろいろ話してくださいました。
こちらの質問にも気軽に答えてくださいました。
帰り際にもらった、紙袋とシールは大事な宝物です。
・・・
当初、ここまでお加減が悪いとは思っていなかったので、ひととおり話が終わったら、
売り場や工房なども見せてもらおう、
商品は流石にないけれど、道具やレシピがあれば見たい、
山田さんを筆頭に写真も撮らせてもらおうと考えていました。
でも、やめました。
1時間程度の話がせいぜいだろう。それ以上はお願いできない。
・・・
2000年代後半、私はパンの仕事を多くしました。
プロ/セミプロ向けの雑誌の特集や書籍が主戦場でしたが、一般向けのムックや雑誌のブック・イン・ブック(付録というか小冊子)も、企画から携わることも少なくありませんでした。
東京はパンブーム、というか、成熟期に入った、というか、才能ある若い方たちも次々とパン屋を開業された頃です。
前者では技法とか商品のアイディアとか経営とか、そういう話が中心です。厨房にも入らせてもらい、朝早くからはりついていたこともあります。
読者もプロですから、とにかく勉強。技術だけでなく、日本におけるパンの歴史とか、資料を読みまくっていました。当然、(広い意味での)下見で、いち購買者として、お店に行って買って食べていました。
前者はどうしてもブーランジェリー/アルチザンベーカリーが取材対象でしたが、後者は街のパン屋や喫茶店もあり、普段、タウンガイド的な仕事をあまりしていなかったし、でも、自分が普段の生活で利用するのはこちらで(ブーランジェリー/アルチザンベーカリーは日常のちょっとした贅沢で、毎日、ではない)、
特に下北沢の「アンゼリカ」は私自身が好きな店で、取材できるとあって、それはそれはうれしかったですね(↓)。
<続きはこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786272/>
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「ボンジュール」のこと -3-
http://ricorice.exblog.jp/30786221/
2024-02-05T00:04:00+09:00
2024-02-05T09:49:24+09:00
2024-02-04T11:36:50+09:00
ricoricex
日本の店レポート
<これまでの話はこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786194/>
僕は、相反する2つの課題に悩みました。
町のパン屋としては、おいしいものを作りたい、でも、値段はギリギリで押さえたい。
職人気質と言えばいいのか、多少原価が高くついてもいい材料で自信を持っておいしいパンを作りたい。一方で、日常生活に溶け込んだ“いつものパン”でありたいから、躊躇なく手に取ってもらえる、なるべく安い値段で売りたかったんです。
そこで、数を売ることでクリアしようと考えました。原価率が上がっても、その分自分が働って補えばいい、と。
そうですね、商売としては儲からないし、効率はよくない。
でも、これが僕のやり方だったんです。
クロワッサンやシナモンクロワッサンのほかに、食パンやバゲットも人気商品でした。これらのパンはシンプルな材料で作りますから、ごまかしが効きません。技術もですが、素材の質もものを言います。上質な素材を使っていたからこそ、気に入って買ってもらえたことは大きいと思います。
2011年12月に体調を崩して入院しました。その時、もうこのまま店を畳もうかと思いました。
でも、お客さんからたくさんのお見舞いのメッセージをたくさんいただきました。本当にありがたかったです。
それが励みになり、お店を再開しようと思い直しました。
しかし、体はとてもそんな状態ではなかったんです。退院しても家の階段を自力で上がれない程でしたから。加えて、オーブンもホイロもあるパン屋の工房の暑さは尋常ではなく、夏場ともなるとそれはこたえます。
ですので、この体では夏は越せないだろうというのは、自分でもわかっていました。
お店を再オープンしたのは2012年9月。その時には、翌年、2013年の5月いっぱいで幕を下ろそうと決めていました。
9か月休み、なんとか働ける状態になってお店を再開したものの、体調万全には遠かったですね。覚悟はしていましたが、想像以上にきつかった。
今日という日を無事乗り切れるだろうか?
不安と闘いながら、一日一日をなんとか持ちこたえている状況でした。
それでも最後の日までやり遂げられたのは、家族やスタッフの支えがあったからです。昔のスタッフたちがサポートに来てくれたことも大きいですね。彼らの力なしでは、とても乗り切れなかったと思います。
繰り返すようですが、いい材料でパンを作ってなるべく廉価で売りたい、そしてお客さんに喜んでもらいたい。
その分を自分が長く働ってカバーするわけですから、ビジネスとしては落第かもしれません。
でも、こうして病気になってお店を休んだときに、再開を待ち望んでもらえる、再オープンしたものの体調が思わしくないことを知って、巣立っていったスタッフたちが手を差しのべてくれる、そんなお客さんに恵まれ、人材を作れたことが最大の財産です。
これこそが、僕が長い間 “街のパン屋”をやって築いてきたことだと、胸を張って言えます。
お店の最後の日々は、連日たくさんのお客さんに来ていただきました。パンもたくさん焼きました。
うれしい反面、万全ではない体調にいつも以上の仕事量ですから、体への負担は相当なものでした。終わったら動けなくて構わない、そんな思いでやっていたので、無事に終えて閉店の幕を下ろしたときは、正直ホッとしました。
ご来店くださったお客さん、一緒に働いてくれたスタッフに恩返しをできた、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
お店は5月いっぱいで閉めるはずでした。でも、5月31日は金曜日。「ボンジュール」は日・月曜日が休みでしたので、週の営業日でいうと、土曜日を1日残すことになります。
それだとけじめがつきませんから、一日のばして、6月1日土曜日18時30分をもって閉店となったのはご愛嬌ですね。
2013年初夏
※山田雅士さんにうかがったお話のまとめは以上ですが、当日の様子、書けなかったこと(なぜ書かなかったのか)などを次回は記しておこうと思います。
<続きはこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786268/>
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「ボンジュール」のこと -2-
http://ricorice.exblog.jp/30786194/
2024-02-05T00:03:00+09:00
2024-02-05T00:08:06+09:00
2024-02-04T11:19:15+09:00
ricoricex
日本の店レポート
<これまでの話はこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786178/>
福岡市・新天町の地下(街)の「Favo」のパン屋では社員として4年働きました。この店の名前が「ボンジュール」でした。
会社がここを撤退することになったときに、僕にお店を、名前ごと譲渡してくれることになったんです。
そうして独立。念願の自分の店が持てた。昭和52年(1977)のことです。うれしかったですね。
自分の店としては初めて、再スタートさせた「ボンジュール」は順調でした。景気のいい時代だった、というのもあったかもしれません。
6年後の昭和58年(1983)には、大名の中心部の角地に住居付き店舗を見つけて購入し、パンの販売を始めました。2つの店の切り盛りを4年続けましたが、近いとはいえきつかったですね。昭和62年(1987)に「Favo」の店を閉め、大名店1本に絞ることにしました。
1階半分が販売スペース、残りの半分と2階が工房、3階が住居。それまでの工房は「Favo」のお店にあり、地下(街)でしたから、明るい場所でパンを焼くようになり、晴々とした気持ちにもなりました。
・・・
当たり前といえば当たり前ですが、パン屋も商売です。パンを作るだけでなく、いかに売るか、も考えました。
例えば、パンを並べるときに、トレイに広げておくのではなく、重ねる。広げた方が見た目はきれいですが、重ねておくともりっとして、いかにもおいしそうに見える。っと、僕だけかな。
ともかく、そうして気づいたことを、ひとつひとつは小さなことですが、積み重ねていったんです。
そういう気づきは、工房にいるだけだとわからない。
ですから、店頭に立ってお客さんの様子を見る、お客さんと話す。お客さんとふれ合うことで初めて、作って売る側から買う側の視点に立てるんです。
また、お店には看板商品も必要です。これはパンを売るようになって気づいたことです。
「Favo」のお店ではクロワッサンが売れていました。では、大名のお店ではどうしようか。
そこで生まれたのが、シナモンクロワッサンです。「ボンジュール」に来たら必ず買ってくださるお客さんも多くいらっしゃいます。
シナモンクロワッサンは、当時のスタッフと一緒に考えました。
試作の段階で、これは売れる、と思いましたね。一度食べたら記憶に残る。
それは、当時はまだ珍しかったシナモンを前面に打ち出したことに加えて、クロワッサン自体が他店と明らかに違っていたからではないでしょうか。
理由は材料と配合です。油脂はバターを100%使用。砂糖、卵は使っていません。生地そのものが違うので、一般的なクロワッサンが食べたときにもろっとするのに対し、うちのは引きがある。生地にはシナモンパウダーも練り込みますが、クロワッサンそのものには甘味がないので、表面にシナモン風味のアイシングを塗りました。
「Favo」のお店で人気商品だったこともあって、大名店でも最初はプレーンなクロワッサンの方が売れていました。シナモンクロワッサンはじわじわと定着しましたね。クロワッサンに別バージョンがあるからと買っていかれる方もいらっしゃったし、店の近くまで来るとシナモンの香りがするでしょう。これも呼び水になったかもしれませんね。
クロワッサンは、多いときで一日600〜800個を焼いていました。シナモンクロワッサンだけで700個売れた日もあります。
毎朝3時30分からクロワッサンを焼くことが日々の始まりでした。続いて、生地の仕込みに入る。そんな生活でした。
2013年初夏
<続きはこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786221/>
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「ボンジュール」のこと -1-
http://ricorice.exblog.jp/30786178/
2024-02-05T00:02:00+09:00
2024-02-05T09:46:43+09:00
2024-02-04T11:07:46+09:00
ricoricex
日本の店レポート
<これまでの話はこちら → → https://ricorice.exblog.jp/30786175/>
振り返ってみれば、パンの仕事は40年やってきました。
僕のことはみなさん、パン一筋と思ってらっしゃるようですが、実は違うんですよ。最初は菓子から入りました。
お店は久留米市内にあり、そこでは洋菓子も和菓子も、カステラといった郷土菓子も手広く作っていました。僕のキャリアは菓子職人見習いとしてスタートしたんです。ですから、最初はケーキを焼いていましたね。
久留米のそのお店が、福岡市・天神の新天町(※アーケード街がある)に喫茶&レストランを出店。3年後には、地下(街)の「Favo」にパン屋を出すことになりました。
僕はその担当に指名されました。これが僕のパン人生の始まりです。それが、昭和48年(1973)。以来、ずっとパン屋です。
ただ、当時の僕は、何をしたい、というよりも、手に職をつけていつか自分の店を持ちたい、気持ちの方が断然大きかったですね。菓子職人でもパン職人でも、それは関係なかった。早く一人前になりたい、その一心で働いていました。
ですので、そのときに指名がなければ、間違いなく菓子職人の道を進んだと思います。
そのお店でパンを出すのは初めてでした。当然、パンを焼けるスタッフは誰一人いない。
パン屋を開店するのに、パンが作れないことには話にならないので、神戸・元町「コロンバン」に修業に行くことになりました。
当時はインターネットなんてものは影も形もありませんし、情報そのものが乏しかった。でも、業者との付き合いはある。店では菓子を焼いていましたから、「コロンバン」を紹介してくれたのは、オーブン機器の輸入代理店でした。
その頃の福岡市内のパン屋の状況は、というと、「カルベル」というお店がフランスパンを売り出し、「スペンスカ」は天神のダイエーの地下にありましたね。
実は、「コロンバン」に修業に出たときは、開店まで2か月を切っていたんです。びっくりでしょう。
どの仕事もで同じだと思うのですが、ひととおりできるようになるには数年かかります。それが1か月半しかない。
パンを作ったことがなく、パン屋の現場自体が初めてなわけですから、正直足手まといですよね。
ですので、実際のところは、修業先の「コロンバン」では作業工程を見ていた、という方が正しい状況でした。
ただ、神戸での日々は刺激に満ちていました。
神戸にはほかにも、「ドンク」「モロゾフ」「ユーハイム」など、今では老舗となったパンや洋菓子の店が点在していて、中でも特に印象に残っているのは「フロインドリーブ」です。
「フロインドリーブ」は夕方には商品がなくなる人気店で、欲しいパンや焼き菓子は予約が必要なほどでした。
パンを作る上での具体的な技術、よりも、街にパン屋があること、生活の中でのパンとはなにか、といった根源的なことを、神戸で吸収し、勉強したと思います。
わずか1か月半の神戸の修業から戻り、福岡市・新天町の地下(街)の「Favo」のパン屋で働く日々が始まりました。
先にお話ししたように、パン作りに関しては基礎も何もないまっさらな状態でしたから、いざ実践となったところで、手探りでしたね。神戸の「コロンバン」で目にしたことを思い出しながら、見よう見まねでやってみる。そんなスタートでした。
ただ、それまで知らなかったさまざまな種類のパンを「コロンバン」でたくさん見られたことは非常に大きかった。おかげで、バゲットやクロワッサン、デニッシュなど、当時としては新しかったパンを店頭に並べることができました。
2013年初夏
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「ボンジュール」のこと -序章-
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ricoricex
日本の店レポート
お店があったのは、福岡市中央区大名。
地理に明るくない人も天神という地名は聞いたことがあるかもしれない。福岡市、ひいては九州を代表する繁華街で、大名エリアはそのすぐ近くに位置する。
ここに昭和の香りを残す、街のパン屋があった。名前は「ボンジュール」。
いかにも親しみやすい佇まいも素直においしいパンのラインナップにも、すっかり感激してしまったのだ。
2011年夏に、東京から福岡市に住居を移し(今は、また東京)、人口に比較して、私の場合は学生時代からずっと暮らした東京基準で、福岡市は規模としては東京の1/10ではあるものの、それと比べても、“街の〇〇屋”が非常に少ないことに愕然としてしまったのだ(他にもいろいろある)。
パン屋も例外ではなかった。
そんな中、あるじゃない! かつ、矜持と良心を感じさせるお店が。
でも、私が移り住んだ頃にはすでに閉店に向かっていて、2011年暮れから半年以上の休業、 2012年9月に営業再開されたものの、2013年6月1日に閉店。
なので、片手以上両手未満しか訪ねたことがない。
閉店を知ったときに居ても立ってもいられなくなって、お話を聞きたい、と連絡をしたところ、快諾してもらった。
「ボンジュール」の山田雅士さんを訪ねたのはお店を畳まれて、2週間ほどしてからだった、と思う。
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