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イギリスの食研究家、食のダイレクター/編集者/ライターの羽根則子がお届けする、イギリスの食(&α)に関するつれづれ。chattex アットマーク yahoo.co.jp


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私のおにいちゃん


私のおにいちゃん_e0038047_08381595.jpg


子供の頃、よく行って、年末年始とか春休みとかの休みになると、ときどき、親戚(母の叔母)の家に預けられた。
息子(母のいとこ)もいたけれど、船乗りだったので家には滅多にいなくって、基本叔母は一人暮らしだったから行きやすかった、というのもあった。

にいちゃん(と呼んでいた)の部屋には立派なステレオがあって、壁にビートルズのレコード(中期以降)が飾ってあった、レコード棚にもあったのでディスプレイ用と聴く用は分けてたみたい。
不在時に本を物色して読むのはお咎めなかったけれど、レコードやDVD(当時はなんだったかな?)はにいちゃんがいるときでないと許可されなかった。
聴けないけれど興味津々で、ときどき目を盗んで引っ張り出して眺めていた。

問題の多かった人で、どうにもダメ人間で、親戚も多いとそういう人もいるよなぁ、なんだけど(私もそう思われてるだろう・・・)、
すごおおくやさしくって(ベタベタしたやさしさではなく)、話もたくさんしてくれて、とてもとてもかわいがってもらった。私も大好きだった。

多分、だけど、今にして思えば、彼は両親が離婚して、それがなかなか大変で、私はときどき預けられ、大きかったのは小学校3年のとき、近所を転々→(別の)親戚に預けられる、で私の中に自分と重なる部分を見てたんじゃないかな〜。
(もっとも私は、呑気というか、悲壮感がなくって、両親とそんなに折り合いがよかったわけでもなく、むしろそのとき預けられた親戚の家は大大大好きな曽祖母がいて、しかも同じ部屋で寝泊まりできるとあって、幸せでいっぱいだった。その選択をしたのも私自身だったし。
 でも、トラウマとして残っているものもある。それは側から見たら些細なことかもしれないけれど、私には大きなことで、物事をどう受け止めどう対応するかを決定づけられた)

小学校4年生(5年生に上がるとき)の春休みに預けられたときだったかな、途中からにいちゃんが船をおりて帰ってきて、ある日、「ケーキ、食べよっか」とお店に連れて行ってくれた。
両親ともイベントごとに無頓着だったので、なにかの際どころか、なんでもないときにケーキ屋さんに行くなんて! 心がときめいた。

ひとつに決めきれず、ショーケースと睨めっこをしていたら、「どっちも買うからええよ〜」と笑顔で言ってくれて、私の分は2個買ってもらった(当時は食がとても細かったから、その日に1個、もう1個は次の日に食べた)。
こんなふうに包み込むように甘やかされ特別扱いをされたことがなく、嬉しくって嬉しくって、わーいわーい、と終始上機嫌。私が犬だったら、ずっとぶんぶんと尻尾を振っていただろう。

別の日には、一緒に『パピヨン』を観た。
映画はおもしろく、ダスティン・ホフマンの演技が素晴らしく、スティーブ・マックイーンを食っていた。
で、字幕を追っていると、どうもフランス(語圏)の話らしい。

観終わって、
「ねえ、なんで英語なん? フランスの話なんやろ?」
「うん。話はフランス、やけど、アメリカで作ったから」
「おかしくない? フランスの話やったらフランス語でフランスで映画作ればええのに」
「今はすっかりハリウッドがね。アメリカから世界に、やし、世界の共通言語は英語やから」
「え〜っ! それが理由? うちがフランス人なら怒るっちゃ。アメリカってなんでも我が物顔で、自分がいちばんって思ってる! その態度が気に喰わん!」
って言ったら、なんかいろいろ説明された。フランスだって植民地を持ってて、だから『パピヨン』も、映画は資本がね〜、みたいな話だった。

あと『U・ボート』も観たなぁ。これはもう少し後だったか。
このときもなんやかんや話したんだった。

私は、普段、とりわけ映画とか音楽とか、そういう話を人とほとんどしないので(私の嗜好や思考を説明するのが面倒だし、そもそも関心を持たれないし)、率直にあーだこーだ感想を言ったのって、とても珍しい。そういう人には、いまだに滅多に出会わない。
9歳の子供(私のことね)に対して、ちゃんと真剣に応えてくれたから、私も次から次へと言葉が出てきたんだと思う。
同時に、彼自身が、自分という人間に正面から向き合ってほしかったんだろうなぁ。

にいちゃんをよく言う人はいないし、実際に迷惑を被った人たちはいるんだけれど、私の記憶の中では、ず〜〜〜っとやさしいにいちゃんのまんま。
そういうのって、いくつになっても憶えてるもんなの。
私だけでもお墓参りに行きたいけど、なかなか、、、なので、せめて心の中で。合掌。

今日、12月8日はジョン・レノンの命日。連想ゲームで数年前に亡くなったにいちゃんのことを思い出した。
にいちゃんの部屋には『ジョンの魂』もあったな。


by ricoricex | 2022-12-09 00:00 | 私が昭和の子供だった頃