
映画にしろ音楽にしろ小説にしろ、
気に入ったものは折につけ、繰り返し体験しちゃうんですよね〜。
アガサ・クリスティーはメアリ・ウェストマコット名義で発表された
『春にして君を離れ』がダントツに好きで、
ミステリーじゃないけど、ミステリー以上の怖さ。
松本清張なんかもそうだと思うのですが、
結局長く読み継がれるものは、ミステリーの体裁をとっているにしろ、人間を描いている、と思うんですよね。
アガサ・クリスティーの、ミステリーでない、メアリ・ウェストマコット名義で発表された作品で、読んでなかったな〜、ってものを図書館で借りてくる。
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う〜ん、ちょっと構成がもたついちゃったかな。
あと、訳が、どうかな。
『春にして君を離れ』と同じ訳者で、『春にして君を離れ』では主人公のひとり語りが多かったのであまり気にならないんだけど、ジェンダーとクラス(階級)を強調するかのような訳が、かなり古ぼけて感じる。
『春にして君を離れ』同様、深淵を覗く、んだけど、宗教的なものが入ってくると、ちょっとぼんやりしちゃうな、私は。
一般的には宗教小説みたいに言われているグレアム・グリーンの『情事の終り』も、むしろ宗教を介さないで読む方がすっきり腑に落ちる。
(宗教をからませて、いちばん素晴らしい、と思うのは、ラース・フォン・トリアー監督の映画『奇跡の海』(Breaking the Waves)です)
あと、クリスティーに限らず、ですが、物語に登場するのは、選ばれし人、たちなんですよね。
作家自体がそうだから仕方ないのかもしれないけれど、選ばれない側の人間の話も読みたい、力量のある作家がどう描くのか、知りたい。私はこちら側の人間だから。
それよりも、はっとしたのが、
カクテルパーティーを抜けてレストランにちゃんとした食事に行く、というくだり。
私の生涯の一冊、『碾臼』(マーガレット・ドラブル著)
にも、同じ状況が出てきたんですよね。
そして、タイトルも『碾臼』にしろ『愛の重さ』(原題:The Burden(直訳すれば、負担、重荷)にしろ、宗教的な言葉だし。
マーガレット・ドラブルは『碾臼』を執筆するにあたって、『愛の重さ』を参考にしたのだろうか。
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それにしても、『愛の重さ』ってタイトルはどうなのかなぁ。
このシリーズ(メアリ・ウェストマコット名義で書かれたもの)、邦題も装丁もハーレクイン・ロマンス、っぽいんですよ。
ハーレクイン・ロマンスが悪い、ってことではなく、な〜んかミスリードじゃない。
それと、馬場啓一の後書きに呆れ返った。
ルッキズムが叫ばれていなかった20年前とはいえ、これはないんじゃない。

