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イギリスの食研究家、食のダイレクター/編集者/ライターの羽根則子がお届けする、イギリスの食(&α)に関するつれづれ。chattex アットマーク yahoo.co.jp


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『ガラクタ捨てれば自分が見える』


『ガラクタ捨てれば自分が見える』_e0038047_18583559.jpg

結局、心の問題なんだな〜。
『断捨離』にしても、『人生がときめく片づけの魔法』にしても、
『ガラクタ捨てれば自分が見える』にしても。

『断捨離』は読んでいないものの、言っていることはどれも同じだと思うんですよ。
スピリチュアル、と言っちゃうと、怪しくなっちゃうけど、
なぜ片づいていないのか、は結局、精神的な問題が根元にあって、片づいていない部屋はそれを示しているのだと。

・・・

来月、2月6日に、ここに住み始めて5年目に突入。
なので、年末に契約更新の書類やらが届き、愕然としてしまったんですね、
部屋があまりに散乱としている、ことに。

これはダメだ!
何かあったときに、血縁に連絡がいくだろうから、となれば彼らのうちに来たことがあるのは若者だけで、
よく知らないババア(私のことです)の迷惑をかけるわけにはいかない、このままでは死ぬに死ねない。

・・・

そこで思い出し、手に取ったのがこの本、『ガラクタ捨てれば自分が見える』。
言っていることは他の本と同じでも、人とに相性があるように、本とも相性があって、私にはこれが奮い立たせてくれる。

まずは、コートが1着ボロボロになったので、
併せて、もう着ないな、すすけちゃったな、って服を処分。
普段着、よりもキレイめな服の方が私は断然多く、眺めているだけで気持ちが上がるので、そういうのは大事に、大事に。

それから、目につくところ。
床に積み重ねていた資料とかを整理。
みかん箱にして5箱くらい、紙もの(本や雑誌、冊子などの資料やプリントアウトしたものetc)を処分。

次いで、やりやすいところから、で洗面台。
化粧はほとんどしないし、トイレタリー用品も多くない。はずが、もう使わない化粧品を捨てた。デザインがきれいでとっておいた(空の)香水の瓶を捨てた。度の合わないメガネを捨てた。消毒液を捨てた。
ここは完璧に近い、つもりだったのに、そうじゃなかった。

そして、ついに、やっと、なのが、手付かずの箱。
ここに引っ越すのが決まってから実際に住むまで3週間を切っていて、急だったので、とりあえず箱詰めして持ってきた。
その中には、開かずの箱があって、それは旅先で収集したあれこれ。
カタログやら小冊子やらフリーペーパーやらショップカードやらが山のようにどっさり。

これが捨てられない!
とってきたときよりも今の方がときめく(笑)。
一方で、新聞や雑誌の切り抜きなどはほとんどは要らない、とわかる。

持ち物に向かうのは、自分と向き合うことでもある。
わかったのは、私はパッケージとして完成された印刷物が本当に好きなんだ、ってこと。
こんなに処分できない、どころか、見るといちいちワクワクするとは思わなかった。
踏ん切りがつかない。ので、今は整理に留める。
資料にしろ、洋服にしろ、トイレタリーにしろ、そのときはためらったけれど、後でやっぱりもう要らない、と処分したものも出てきたから、無理はしないでおこう。

とまあ、こんな感じ。

・・・

このままだと死ぬに死ねない、なんでこうなっちゃったんだろう、と思ったのは、
2008年秋、ある日突然死の直前までいって、
そのとき、自分は死ぬんだなぁ、と悟った際に、
気持ちとしては穏やかで、まあ、私の人生、こんなもんか、で、
そのとき家の中はきれいに片づいていて、唯一、コンピュータの中だけがちょっとだけ整理しきれてなくって、でもそれも大したことなかった。
そんな私だったのに、なんでこうなっちゃったの?

理由は自分でもわかっていて、わかっていてずっと向き合いたくなくって。。。
それは、不安。
不安そのものよりも、不安の持って行き場がない、ってこと。

いつから片づかなくなったか。
東日本大震災の後で、東京を離れたときに始まったんですね。
何のあてもなく、縁もゆかりもなく。
そのときは日常を送りたい、を最優先にしたので、その決断はそのときの私には必要だったので、後悔はないけれど、ひと皮むくと不安しかなくって、それを自分でどう取り扱っていいのかわからなくって、途方に暮れて。
なので、海外に行って買い物もしまくったんだと思う(イギリスのあれこれをやる上で必要なものではあったんだけど)。

そして、4年前に東京に戻ったのは、
東京の仕事の比重が大きく、東京との往復がますます増え、でも東京にいなくって、私、何やってるんだろう、となって。
でもこのときも、何のあてもなく。
程なくコロナになったけれど、このときは、目先のこと、とりあえず家の中を住めるようにするのともらった仕事をこなすので精いっぱいで。
やっぱり不安、だったんだろうな、(心の)拠り処がなかったんだろうな。
なので、三度目の東京の生活になじんだ頃、不安がもたげてきて、その不安を紛らわすように、そうしてモノが少しずつ増殖し、片づかない状態、つまりは溜め込んだ不安に溺れるようになった、と。

それと、私の場合、モノより人の方が見切りをつけやすい、ってのもある。
去る者は追わないし、ソーシャルメディアなどは定期的にチェックして、その場のノリだけで、あるいはやりとりがないのにつながっているいる人は外す。好きとか嫌いではないのよ。
今の時代、連絡取ろうと思えば、特に共通の知り合えさえいれば、なんとでもなるから。

人には執着がない、みたい。
どんないい関係を築けていたとしても、どちらが悪いわけでもなく、ある日突然、終わったりする。
それは仕方がない。そういうもんだと思っている。

むしろ、モノの方が付き合い方の方がよっぽどむずかしい。
なぜなら、神隠しにでも遭わない限り、こちらの胸三寸だから。
ということはこちらからバイバイしない限り、手元にいる状態が続く。

・・・

昨秋帰省し(不意打ちの風景に心が平穏でなくなった)、程なくイギリスに5年ぶりに行って(帰省し)、時間軸が歪み、3.2次元にいるような、デジャヴの逆というか、自分はもう随分先にいるんだけど、今を振り返って追体験しているような気分が抜けず、
体調も崩して寝込んで、余計に、自分が今どこにいるのか、ぼんやりとした意識の中にあったのが、契約更新で、現実に引き戻されて、ようやく。

長年かけて作り上げた片づかない部屋は、一気に捨てて。で片づく問題じゃなくって、
自分でひとつひとつに向き合って問いかけながらやって初めて納得して、根底にある心の問題も片をつけないといけないのだろう。
長期戦になるだろうけど、粛々と進め、そうしないことには次にはいけない、ってのが今の私にはよくわかる。
こうして公言することで、自分に発破をかけるのだ。

by ricoricex | 2024-01-27 00:00 |