去年の秋口だったか、私が敬愛する放送作家の高田(文夫)先生が、何人かで行った、とラジオで話していて、店名こそ出さなかったものの、ピンと来た。
聞きながら、壁にずらりと貼ってあるお品書きや、注文をとったり料理を運んだりきびきびと動いて回っているお姉さんたちを思い出した。
お蕎麦食べて、ちょっと何か頼んで(揚げ物は欲しいな)、軽く飲んで、、、
頭の中はすっかり「泰明庵」。
お昼は混んでるだろうけど、ありがたいことに昼から夜まで通しで営業しているからな〜。
近くに行ったら、寄ろうっと!
だったんだけど、わざわざ、じゃなくって、ついでに行きたいのもあって、
秋は、帰省、渡英で、東京にいない時間が多く、
イギリスから戻ってきたら、1か月以上、日本の食事を受け付けなくなり、
12月は体調を崩し、年を越して、ようやく。
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銀座にこんなところがあったのか、と思わせる、
昔の松竹映画(小津とか)のような、1969年生まれの私でさえ知らないレイドバックした昭和が薫る。
16時頃だったか、格子戸を開けると、1階は満席。2階へ通される。
「相席ですけど」と恐縮されたけど、
いいの、いいの。
たいていの飲食店は女性が多いけれど、蕎麦屋は、とりわけ通し営業しているところは圧倒的に男性が多い。
年取ったおじさんも、だけど、若者の姿もちらほら。
この日も、見渡すと女性は私だけ。あとで、若い男女のカップルが入ってきた。
長らく続いているお店は、70年近く営業を続けている「泰明庵」にしても、こうやって次の世代に受け継がれていくんだなぁ。
蕎麦屋と一口にいっても、ぐっと探求型からチェーン店、立ち食いまでさまざまで、
「泰明庵」は町の蕎麦屋。
他の町蕎麦と一線を画すのは蕎麦、うどんはもとより、丼ものやつまみが多彩に揃う品数の多さで、定食屋のようでもあり、居酒屋のようでもあり。
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さて、何にしよう。
寒い季節のお楽しみといえば、せりそばと、桜エビのかき揚げ、辛口の日本酒を頼む。
1987年に上京し、人生のゆうに半分以上は東京なのに、いまだ西の端の食文化をどっぷり引きずっている私だけど、
蕎麦、天丼、とんかつ、は東京が断然いい!と思っている。
とはいえ、蕎麦屋にあまり行かないのは、量が少ないんですよね。。。食事には足りない。
そこへいくと、「泰明庵」はねぇ、量が多いのよ。
値段だけ見ると、一般的な町の蕎麦屋よりちょっと高い、と感じるけれど、量が違う。
お蕎麦は2倍くらいあるんじゃないか、って思うし、
せりもケチケチせずたっぷり。根っこも余さず。
シャキシャキした食感と、爽やかな香りとほのかな苦味
が心地いい。
ネギも、関東の白ネギで、普段は青ネギを所望する私ですが、
お蕎麦のおつゆには白ネギ、なんだよなぁ。
桜エビのかき揚げは、からり。
ソフトではなく、ドライ(辛口)なんだよなぁ。
ピシッと筋の通ったやさしさ、というか。
天丼だと、タレにくぐらせて、きっぱりしたおいしさも加わる。
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蕎麦は、上京するまで年越し蕎麦くらいしか、それもうどん食いだから、うどんとちゃんぽんにして食べたりもしていたし、
蕎麦屋にはあまり足を運ばないので、
そばの経験値は圧倒的に低い。
麺としての蕎麦は、馥郁たる香り、喉越し、など、はぁ、そうなんだろうな、くらいで、ぼんやりとしかわからない。なんとなくの違いは感じても、それが何なのかは説明されないと、わからない。
私にとっての、食べ物としての蕎麦は圧倒的におつゆ、なんだよなぁ。
うどんをはじめ、自分が普段食べるものは、出汁をしっかりとって横にふわ〜っと広がるもの。
だけど、東京のお蕎麦のおつゆは垂直。縦にキリリと入ってくる。
前者が、「まあ、ええんやない」ってのに対し、
後者はピシッとしていて、故・内海好江のような、というか。。。
今では、東京圏以外、有体に言うと、西でお蕎麦を食べると概ね、麺はいいのかもしれないけれど、おつゆがなぁ。。。な気持ちになってしまうのだ。
それと、食べる状況ね。
私はうどん食いで、食事としても、だし、寒い日は、ちょっと食べよ、みたいに、いわば甘くないおやつというか、スナック、中国でいうところの小吃でもあって、
蕎麦もそういう面はあるけど、そこに飲む、が加わるんだよね〜、昼間っから。
でも酔うためでなく、ちょっと飲む、くらいで(なんじゃないかな?)、ってのは、
これはねぇ、私が生まれ育ったところにはない食文化、なんですよ。
なので、私にとっての蕎麦は、おつゆと食べる状況、なんだよなぁ。
状況を見せてくれるのはおじさんたち。
友達とか同僚とかとあれこれ楽しそうに、ときに議論を交えながら、蕎麦を手繰り、酒を飲み、つまみを口に運びながら、話している姿を見るのも好き。
そうして、自分は今、江戸から地続きの東京にいるんだなぁ、と感じるのだ。
mon 15/01/24