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イースト・クロイドンのホームで、15〜20分待った、かな。
おそらく、ではなく、ちゃんと降りたホームの向かいに、ヴィクトリア・ステーション行きの列車はやって来た。
今回のイギリス滞在で気づいたんだけど、スターバックスが列車のホームや地下鉄の乗り換えポイントであったりして、
それがなんというか、えら〜くレイドバックした感じで、駅の立ち食いうどん感がすごい! 現に、そういう利用のされ方だろうし。
お腹すいているし、暖をとりたいし、コーヒーと何か買おうと思ったけれど、順番を待っている人もいたし、またしても「キャッシュ使えますか?」(今回は毎度毎度これを訊いた。受け付けないところもあったし、使えてもすっかりマイノリティ)の一言を言うのを考えると面倒になったし、なによりタイムテーブルはあくまで目安だし。予定より早く来たらえらいこっちゃ。
2000年、イングランド北部、マンチェスター近くの小さな町に住んでいたときはホームステイで、最初に紹介されたところがピンと来なくって、変えてもらい、
住んだ家は、バリバリのワーキングクラスで、エリア的にアクセントもすごくって何言ってるか分からず(笑)、でもとてもよくしてもらったし、実際とても居心地がよかった。
面倒見のいいサイ(モン)と、普段は大人しいけどお酒が入ると饒舌になったスチュ(ワート)と、独立しててときどきやってきたアリソン(私は彼女が使っていた部屋に住ませてもらった)と、すぐ近くのホストファーザーのガールフレンドのテリーザ(一緒には住んでいなかった。とっても気持ちのいい人だった)と、そしてホストファーザーのバリーと。彼が作ってくれるチリコンカンやステーキ、おいしかったな。
バリーはびっくりするほどたくましい屈強な体つきで、炭鉱夫だった。仕事から帰った日はぐったりとソファで休んでいることが多かった。
寒い日にはストーブに石炭を焚べた。
石炭で暖をとる、初めてだった。
炭鉱はなくなった、と思っていたので驚いた。同時に、ものすごく懐かしい気持ちになった。
私が物心ついたときは産業としてはすでになくなっていたけれど、生まれ育ったのは、かつての炭鉱があったところの近くである。
トンネルのようなものの山があり、子供の頃はなにかわからなかったけど、かつては掘っていたってことなんだろう。
母方の祖父は炭鉱で事務のような仕事をしていた時期がある。
父は石灰の採石場で発破をかけるためのダイナマイトなどの危険物を取り扱っていた。
「私、元とび職なんですぅ」とのたまった元フライトアテンダントがいた。
謙遜、のつもりなんだろうけど、ブルーカラーを持ち出して、あなた方下々と同じ、という物言いに憤りを覚えた(なぜだかエリート感を出しているけれど、そもそもフライトアテンダントはホワイトカラーなのか、って疑問もある)。
こういうの、ミドルクラスの人はしょっちゅうやらかすよね、寄り添ったつもりの失礼極まりない言動、無意識なんだろうけど。
ヴィクトリア・ベッカムが「私はワーキングクラスだから」と言った矢先に、デイヴィッド・ベッカムに「ロールスロイスでお父さんが送り迎えしてたんじゃなかったっけ?」って返されたのと同じ構図だな〜。
窓の外は、すっかりきらびやかに再開発されたバターシー・パワーステーション。
都営の度に行くテート・モダン(旧・バンクサイド発電所)も生まれ変わったバターシー・パワーステーションも、石炭火力発電所だったところ。
こういう場所に心惹かれるのは、環境によって刻まれたものがあったんだろうし、親やまたその前の人から自分に受け継がれているものもあるのかな、とも思う。
そして、素地としてあるからこそ、私のアンテナに引っかかりもするのだろう。
tue 14/11/23
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