
重い扉を開けたら、いつも夜。
早い時間だとタバコのにおいもぼんやり
(私は、自分がたまに吸うので、あまり気にしないのだけど、もくもくとしみついたのは苦手)。
新宿はときどき来るけれど、飲み食いすることはあんまりない。
ここは映画館の隣にあって、午後の中途半端な時間でも軽く食べられるのもあって、夕方になる前だったら来る。
もっともギリギリに映画館に駆け込むことが多いし、映画を観た後は割とそのまま帰りたくなるので、滅多に来ないんだけど。
こないだ久しぶりに来た。
東京に戻って初めて。
紀伊國屋書店を裏に回り(通り抜けて、と言うべきか)、靖国通り沿い。
新宿ピカデリーの隣の地下1階に「DUG」はある。

狭く急な階段を下る。
壁や床、柱はレンガ。どっしりとした木のテーブルに椅子。
一段ごとにBGMはだんだん大きくなり、店内は暗くなる。
新宿は夜の街だったんだな、と改めて思う。
目の前の靖国通りをひょいと超えたら、歌舞伎町だし。
・・・
この後、それこそ隣の新宿ピカデリーで映画を観るので、
アルコールはパスして、コーヒーを頼む。小腹がすいていたのでダグットサンドも。
店の名前をつけたダグットサンドは、
要はバゲットサンド。ハムとチーズときゅうりとレタスをはさんだもの。
バゲットは軽くトーストしてあってざくざく。野菜もみずみずしい。

ジャズ喫茶、もだし、昔ながらの喫茶店、私はサイフォンで淹れるのが好みだけど、
そうでなくっても、こういう店のコーヒーは、概してこっくりと苦味があっていい。
すっきりとしたチェーン系のコーヒーとはまったく異なる。
すすれば、子供の頃の喫茶店の記憶を行ったり来たり。時空を超える。
ロゴこそ入っていないものの、私が小学校の中頃、
こんな感じのカップ&ソーサーがうちにやってきた。
ちょっとぼってりした、モダン民芸を大量生産したような趣。
いつもはカップしか使わなかったけど、コーヒー(インスタント)、紅茶(ティーバッグ)と飲んでたな〜。
・・・
私が幼稚園のとき、小学校の後半から中学、と母は喫茶店で働いていた。
それもあって、喫茶店にはよく行った。
試作もあったのだろう、家で、店で出すメニューを作ったりもしていた。
今でも実家に戻ると、きゅうりの斜めスライスやトマトのくし切りを添えたがる、盛りつけを気にするのは、もう彼女にとっての習慣なんだろう。
いつだったか、あそこであんなん食べた、ここではこんなん食べた、みたいなことを言ったら、
「あんた、よく覚えちょるね」
「だって、店ごとに違ったし。この店はこーなんやー、って思ったもん」
「昔はね、店で作るしかなかったけーねー」
「(???)」
「今はね、いちいち店で作らんでも、できたものを仕入れられるやろ。流通もよくなったし。その分、どこ行っても同じになったっちゃね」
そういうことよ!
それがいい悪いじゃない。それで店側の手間が省けたのは事実だし。
こういうの、仕事柄、一般論としては聞いてたし、取材先でも言われてた。
でも、こんな近くに当事者がいたじゃない!
・・・
とはいえ、
矜持、だろうな、とも思う。
いくらでもラクをしようと思えばできるけど、そうしない、ってのは。
厳密には取捨選択して、そうしないものを残している、ってことだろう。
ダグットサンドも注文を受けて、パンをローストして具材をはさんで(野菜くらいは切ってるかもしれない)、
パウンドケーキもブラウニーも自家製だし。
なんでも手作りがいいとは思わないし、手作りだからおいしいわけじゃない。
でも、できあいにあふれている今だからこそ、フィジカルなものが欲しくなる。
そこに、変な意味づけは要らない(○○産の材料使用、とか、△△シェフ直伝、とか)。
目の前の客のためにわざわざ手をかけてくる、それで十分、それに対価を払う。
ヴァイナル(アナログレコード)が流行ってるのも、そこじゃないかな。
・・・
夕方の時間だったので、客足はちらほら。
階段を降りて右手が禁煙席、左手が喫煙席で、この日の私は禁煙席。
30代の女性がコーヒー片手に仕事の資料かなにかに熱心に目を通し、
私のすぐ後、隣の席に腰掛けた60歳前後の男性はビールを注文し、スピンを外してハードカバーの続きを読み始めた。
喫煙席は、二人連れがときに笑い声を伴いながら語らったり。
BGMの音量は大きいけれど、うるささは感じない。
むしろ、この音のおかげで、それぞれがそれぞれの時間に浸れるんだと思う。
小1時間ほど経った頃、BGMがローズマリー・クルーニーの「Come On-a My House」に変わった。
映画の上映にちょうどいい時間になり、店を後にした。

wed 21/06/23

