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イギリスの食文化研究家、食のダイレクター/編集者/ライターの羽根則子がお届けする、イギリスの食(&α)に関するつれづれ。chattex アットマーク yahoo.co.jp


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『月刊 太陽』香港特集(1996年1月号)


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古本屋の店頭にバックナンバーが並んでいて、見るとはなしに眺めていると、ワインやらフランス料理やら、知っている号があれこれ。
いずれも1990年代のもの。資料として読んだものだ。

その中に、自分でも買ってすぐに手放した、でも見ていると手元に欲しくなった一冊があり、レジへ。

『月刊 太陽』香港特集(1996年1月号)

わざわざ“月刊”というのは、『太陽』は“別冊”も存在するから
(現在は、判型違いで“太陽の地図帖”もある)。

・・・

1992〜96年、私は編集プロダクションで働いた。
今はウェブなんかもするし、同じ紙媒体でも広告制作会社に席を置いていたこともあるから、そんな仕事もしたりもするけれど、私の原点は出版編集で、書籍やら雑誌やら、今も基軸となっている仕事の始まりはここだった。
アルバイトから始まり、なんとなく社員になって、何が変わったわけではなく、今でいうブラックな働き方をしていたので、
さしたる保証はなくお金ももらえず、それでも書籍も雑誌は買ってはいたけれど、それでもあれもこれは買えなかったな。

・・・

生まれて初めての飛行機も、生まれて初めての外国も、
この編集プロダクションに所属しているときだった。

ネットはまだ浸透していない時代。
よっぽどのところ、日本にも代理店がある高級ホテルなんか以外は、ゲリラ取材、つまりアポなし取材だった。コーディネーターも通訳もつかない、つくわけがない、ついたことがない。
加えて外国だし(というと語弊があるかな? 予定はあくまで予定、というか)、物事が予定通りスムーズに運ぶ、なんてことは、まずない。

当時、言葉もままならなかっんだけど、こういうの、私、向いてたみたい。
平気だった、というか、むしろ、国内の、箸の上げ下ろしまで、言動の一つひとつをチェックされているような状況よりも、問題解決が常に山積みで大変だけど、やってみなきゃわかんない。本当にやってみなきゃわかんなくって、いい意味で柔軟性があって、海外取材は精神的にはよっぽどラクだった。

もっとも、こういうのは向き不向きがあって、現地で貝になる人(言語の違いなどで押し黙ってしまう)、帯状疱疹になったり体調を壊したりする人(ストレスから)もいて、でも彼らは国内では問題なくスムーズに仕事をこなしていたので、ほんと、適性ってあるんだと思う。

それをみてとったのだろう、私は海外のトラベルガイドなんかの制作担当になり、
さらに裁量を任されて、こうしたいああしたい、と提案して、やらせてみよう、となって、結果もついてきて、
この子(私のことね)は、お題だけ与えて、海外ものを自由にやらせるのが向いているだろう、と上が判断したようで、
その編プロを辞める直前に担当となった書籍企画が、食に焦点を当てた香港の本だったのだ。

すでに市場には類書は出回ったところでの後発隊、その企画内容から、まずは厚みと深みのある内容の本でないと勝ち目はなく、となると、知識や経験がないと難しい。
なので、この企画については、食に詳しい、編プロを回していたおじさんと二人三脚、でやることになった。
ところが、そろそろ具体的に練りましょう、のときに頓挫。
まあ、いろんな事情でそういうことはあるよね。

そんなわけで、香港の資料が事務所に増殖し、
自分でも欲しくなって買ったのが、『月刊 太陽』香港特集(1996年1月号)だったのだ。
もっとも、企画がなくなり、程なく私はそこを辞め、世は香港ブームで、欲しいって人に譲っちゃったんだけど。

改めて手に取って、表紙を見ると、そうそう、香港の食の書き手、ってこういう布陣だったな〜。中を開いて、そうそう、カメラマンも、ね。

表紙は、他の号との兼ね合いもあってだろう、白バックなんだけど、中はどどん!ギラギラ!
いわゆる名店と呼ばれる、これでもか!の御馳走の煌びやかさ、が圧倒的。
その中にあった、街場のエネルギッシュな市場や露天、食堂の、底力のようなエネルギッシュさに、これは!と惹き込まれて、それで買ったんだよな〜。
その数年前に藤原新也の『全東洋街道』を手に入れて、その影響もあっただろうし、もともとの素質として、こういう都市の猥雑さが好きなんだろうな、私は。
そういうことを思いながら、27年ぶりにページをめくる。

・・・

具体的な記憶はあれこれ前後している、と思うのだけれど、おおざっぱに言うと、
1990年代は香港ブーム、だった。
香港に上海蟹を食べに行く、なんてよく聞いたし。

1997年6月30日に中国返還を控えていて、さてどうなる?という興味もあっただろうし、
映画とか音楽とかも人気があったし、映画は1990年代のウォン・カーウァイ、その前段階として、ジョン・ウーの『男たちの挽歌』(1986年)なんかも印象深い。

パシュミナも流行ったな〜。
でもって、当時は香港、シンガポールってハイエンド・ブランドを買いに行くディストネーションでもあったんだよね〜。

これは、飛行機の便の関係で、東京圏だけかもしれないけど、
金曜の夜、仕事終わりに飛び、週末香港で過ごして、月曜の朝だか日曜の夜に帰国、なんてのももてはやされてたもんな〜。

柴門ふみが、香港(&東京?)を舞台に漫画描いたのも、この時期だった。
実際、新天地を求めて、香港で働く、って選択をする人もいた、んじゃなかったっけ。

バブルが弾けた、とはいえ、なんのかんの世の中はまだまだ楽観ムードで、
“消費の快楽”の時代だったんじゃないかな。
そのひとつのディストネーションが、食べるにしろ買うにしろ、香港だったわけで。
ただ、私自身はブラックな働き方でお金もなくって、世事に疎く、他人事だったんだけど。

・・・

私がようやく、初めて香港を訪ねたのは、2000年代半ば。
残念なのは、空港がすでに今のところで、それまでの啓徳空港の名物(?)だった、ビル群すれすれに入っていく“香港アプローチ”を体験していないことである。




by ricoricex | 2023-06-12 00:00 |