
引っ越しは多い方だと思う。これまで20か所ほどをうろうろしてきた。
そのせいか、帰属意識が薄い。いつも傍観者のような感覚に覆われている。
なじみや好きなものはあるし、自分のルーツとして認識することはあっても、同郷だから同窓だからと肩入れする意識は欠落している。
あんなところこんなところに住んできて、人と人に相性があるように、人と街にも相性があるんだ、と思う。
その時の自分と街のタイミングも合致するってことだろう。
幼稚園の最終学年の夏休みから小学校3年の頭まで住んだところが、そうだった。
必ずしもいいことばかりではなかったんだけど、キラキラとした楽しい思い出がいくつもあって、記憶の箱にたくさん詰まっている。
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1987年、18歳で上京してから、いちばん相性がよかったのは世田谷区弦巻である。
10年近く暮らし、人生でいちばん長く住んだところでもある。
その前に2年ほど住んだ世田谷区野沢もよかった。
駅でいうと、どちらも東急新玉川線(現・田園都市線)で前者は桜新町、後者は駒沢大学。
野沢も弦巻も、その後住んだ文京区の千駄木も目白台も、どこも大家さんに恵まれた。
手渡しで家賃を払いに行き、特に世田谷の2軒はおじいちゃん&おばあちゃんが大家さんで、今の感覚だとおいおい、当時の私ですら、あっちゃー(洗濯物を取り入れて、家の中に入れておいてくれるとか、ね)な部分はあったけれど、
だからといって特に何かを言われるわけでもなかったので(家の中がぐちゃぐちゃでも(笑))、こういう世代の人たちのやり方の親切なんだな、と素直に感謝した。
桜新町にしろ駒沢大学にしろ、アクセスするにターミナル駅となるのは渋谷で、通勤通学途中で降りることは少なくなかったけれど、
例えば家にいて出かけるときは渋谷まで行かず、向かったのは三軒茶屋だった。
野沢の家からは歩いて15分もかからなかったし、桜新町にいるときは自転車を有していたのでぴゅっと向かった。
渋谷まで行かなくても三軒茶屋で事足りるからね〜。
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今ほど情報があふれていかなったので、上京するまで新玉川線の存在は知らなかったし、どんな駅があるのか、知っていたのはせいぜい二子玉川園(当時は二子玉川駅ではなく、二子玉川園駅)。
中学生の時だったか、何かの記事で“渋谷から15分も揺られていくと、そこは川が流れるのどかな田園地帯”とあって、へええええええ〜っ!とびっくりしたのだ。
その頃の私は、さすがにまんまとは言わないまでも、東京は『AKIRA』や『ブレードランナー』みたいな世界が広がっていると思っていて、目眩がするほど進歩的なところだと思っていて(もしくは原宿とか青山とかの当時のファッショナブルな感じ)、初めて東京に来たときの印象は、緑と普通の家が多いのに驚き、普通の生活がある街じゃない!だったのだ。
私が住んだ世田谷区野沢の家は、環七と246が交わる上馬交差点の近くで、バスの便がよかった。渋谷や二子玉川はもとより、新宿にも大森(というか途中の、東横線沿線の碑文谷とか)にも行けた。
そして下北沢行きのバスもあり、下北沢は知っていて、距離が近い割に、電車だと乗り換えが多く面倒なので、バスで向かった。
ルートとしては、246を上り、茶沢通りを通る。
このときにバスの車窓から三軒茶屋の街を初めて見たのだ。
今でこそ三軒茶屋はメディアで取り上げられることもよくあるけれど、当時は東京ローカルな街のひとつだった。
新玉川線は地下を走っているので、電車の車窓から周囲の風景は見えず、でも急行が止まるのでそこそこ大きな駅なんだろう、と思っていたら、
ごちゃごちゃしていて、山手なのに下町感満載!
(私はもろ下町は、あの距離感が苦手で、下町“感”が好きなのだ)
近いし歩いて行けそうだし、日をあけず三軒茶屋を訪ねて、一気に気に入ってしまった。
野沢に住み始めてすぐのことで、ちょうど今くらいの季節だった。
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程なく三茶(面倒なので、以降、三軒茶屋は三茶)でバイトを始めた。
大学はつまんなかったけど、バイトは楽しくって、時間がある限り入った。
私に仕事を教えてくれたのは、高校生だった。すぐに他の大学生やフリーター、高校生とも仲良くなった。夕方から入ることがほとんどだったけれど、たまに午前中からだとパートの人と一緒になる。これもこれで楽しかった。
高校生たちは、お世辞にも必ずしも学校の勉強ができるわけじゃなさそうで、だからバイトに精を出すことも可能だったんだろう、ほぼ毎日入っていた。
彼らはバイトでは大きな戦力。後から入った私には、とりわけ頼もしい存在だった。
屈託がなかったし(そのように見えた)、私は体育会とかを体験してなく、地方の義務教育や公立高校なんてゆるゆるで、いわば抑圧がないところにいたので、歳が上だから下だからどうのもなく、彼らに誘われてバイトが終わってごはんを食べに行ったり、(なぜか)スナックでカラオケをしたり、誰かの家に遊びに行ったりもした。
「○○さん、児童劇団にいたんだよ」
「△△さん、早稲田の政経だから家庭教師とかすればもっと稼げるのに、ここのバイトがいいんだって」
パートの方たちも
「うちの子ね、今年、受験なの、青山高校なんて夢のまた夢だったわ」
「マンションのローンがねぇ」
当時は景気も悪くなかったので、時々会社持ちで大きな飲み会みたいなのもあった。
高校生のKさんと私は仲が良くって、二人とも小人で、
今でいうギャル、みたい、というのかなぁ、
ただ、それは突拍子もないことを言う、ってことでなく、誰に対しても臆面なくモノを言い、
その持ち場でいちばん偉いさん(課長、だったかな)にもそんな調子だった。
その課長は物静かな人で、
ある飲み会の参加を聞かれたときに
「二人は来てよね! 課長は二人がいるとご機嫌なんだから」なんて言われて。
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帰属意識が薄い私が、三茶はいい!いつかは三茶!(に住みたい)とずっと思っているのは、
その頃住んでいた家やそのエリアと相性がよく、その流れの頂点ってのもあるんだけど、
東京ローカルの人たちのリアルな生活に、直に初めて触れた街で、
それがとても心地よかったからかもしれない。
人生でいちばん長く住んだところを、キャロットタワーから眺めながら、そんなことをぼんやり。
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