
『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』『ブリティッシュ・ロック誕生の地下室』 @ 目黒シネマ(東京)
“60s スウィンギング・ロンドン特集” @ 目黒シネマ (2023年3月25日(土)〜31日(金))
午前の部『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』『ブリティッシュ・ロック誕生の地下室』
午後の部『ロックン・ロール・サーカス』『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』(ともにザ・ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画)
レイトショー『スウィンギング・ロンドン1』『スウィンギング・ロンドン2』
まさか、こんな特集上映があるとはね!
1960年代のイギリス(というか、ロンドン)の動きはとてもおもしろく、きちんと掘って整理したい私のために用意されたかのようなラインナップ。
欲張れば1日6本全作品観るのは可能だけど、さすがにきつい、翌日使いものにならないのは目に見えているので、優先順位の高い順に。
まずは、レイトショーレイトショー『スウィンギング・ロンドン1』『スウィンギング・ロンドン2』。
それから、午後の部『ロックン・ロール・サーカス』『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』。
最後に、午前の部『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』『ブリティッシュ・ロック誕生の地下室』。
というのも両作品とも近々、去年観てて、最悪、今回観れなくても、だったので。
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『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』(2021年/サディ・フロスト監督)
去年の12月に観たんだよなぁ。映画にも出てくるヴィヴィアン・ウエストウッドの訃報を聞く前だった。。。
その時にざっと感想を述べ(↓)、
全体の印象としては、この時と変わらず。
書き漏れていたこととして、
私自身への課題:コーヒーハウスとは単にコーヒーを飲むためじゃない、文化人サロン的な場所だったんだろうけど、果たして、どういう経緯でそうなったのか(追って調べる)
メモ:キングス・ロードにあって、マリー・クワントのお店に近かった(であろう)店舗にあったエスプレッソマシンは、ロンドンで2台目。
ホリデーを過ごしているエリアの風景が南仏。イギリス人はねぇ、この頃はまさにそうだろうなぁ(妙に納得)。
お給料かなんかのくだりで、おそらく意訳で、毎月、ってなってたけど、毎週、だと思う。
今はわからないけれど、給料も賃料も基本週払いだったもん、少なくとも2001年までは。ってことは、1960年代は間違いなくそのはず。
金曜日に仕事辞めても月曜日には見つかる、とか、『さらば青春の光』なんかで描かれているのが顕著で、だからこそ週末はもらった給料で、って生活スタイルをベースにしていたし。
いろんな人にインタビューしていて、非常にポッシュなアクセントの人もいて(ミドルクラス、というよりもアッパークラス)、トイレをlooと言ってて、ああ、イギリスだ、と思ってしまった。
女性的な婉曲的(でもないか)な言い方で、また、アメリカと違い、イギリスはtoiletはtoiletで失礼な印象はなく(日本でトイレ、というのと同じ)、bathroomという必要はない。bathroomだとキョトンとされることはあるかも。トイレとお風呂は同じ部屋にあることが多いとはいえ、ね。
で、締めで流れた「Camel Blue」は、Outer Stella Overdriveの曲で、そうだ、このバンド、ジュード・ロウの息子ラフ(ラファティ)がいて、あっ、お母さんは、監督のサディ・フロストじゃないの。
なーんだ、って気分に一瞬なるけれど、この映画にはよく合ってます。
ちなみに、サディってセイディってする方が近い気がする。サラもセァラ、ゲイリーもギャリーに直したい。。。
イギリス版はポスターが違って(↓)、こちらの方が内容に忠実だと思うな。
そして、言っちゃ悪いけど、マリー・クヮントが一世を風靡した1960年代のデザインは、
背が高くてほっそりとした現地の女の子よりも、小人で体はがっちりして脚は細い、加えて顔立ちがはっきりしている私にこそ似合うのよ、デザインそのまま、ヴィヴィッドな原色だとなおいい。
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『ブリティッシュ・ロック誕生の地下室』(2021年/ジョルジオ・グルニエ監督)
これは貴重なドキュメンタリー映像だよなぁ。よく持ってきてくれたなぁ。
最後のクレジットでは、インタビューには応えていたものの、亡くなった人も散見され、活動していた人たちもそういう年齢になった、ってことか。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=6197286697005526&set=a.187195658014690
インタビューに応えていた中に、ロック史家もいて、こういう職業がある、掘り下げたものや論評も作品として読まれる土壌であることを感じる。
私は大衆文化を振りたくなるので、対象は違えど、私はこういう仕事をしたいのかもしれない、と気づかされる。調べるのはまったく苦ではない、むしろあれもこれも知りたくなって調べたくなるし。
舞台となった「イーリング・クラブ」、始まったのは、1962年のセント・パトリック・デイ(3月17日)。
イギリスのユース・カルチャーは、ロンドンではこれをスウィンギング・ロンドンと呼んでいいんだろうけど、1962年に始まり69年に終わる、と私は確信していて、見事に符号する。
そして、この年の捉え方は『初夜』で装置として上手に使われている。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=5914549805279218&set=a.5914057481995117
もちろん、全員がその時代のムードに高じていたわけではない。ケン・ローチの『夜空に星のあるように』では、その様子が垣間見れる。
https://www.facebook.com/photo?fbid=4831511806916362&set=a.5914027815331417
字幕で気になった点。
アンダーグラウンドがアングラとなっていて、アンダーグラウンドの方がふさわしいんだけど、
字幕ってコピーライティングみたいなもんで、限られた字数と時間では、やむなし、か。
文章の中に、アンダーグラウンドって字面で入ると、長いし、もたつく、かもしれない。
むずかしい。。。
字幕で気づいた点。
ジャファケーキがビスケットとなっていた。
ジャファケーキはマザービスケットをひと回り小さくしたような、ビスケット/ケーキ生地にオレンジゼリー/ジャムをのせチョコレートコーティングしたもの。
で、これ、裁判沙汰になり、ケーキ、となったんですね(↓)。
でも、この映画の中では、ビスケットで大正解だと思う。これ、ピーター・バラカンが監修に入っているから、かな(笑)。
確かに、ジャファケーキと言っているんだけど、紅茶とビスケットをおやつに、といった表現で、意味するところとしては、ケーキよりもビスケット。常備してあるもんだし。ジャファビスケットでも(マクヴィティの)ダイジェスティブでもカスタード・クリーム、バーボンでもいいわけで。要はビスケットを具体的な名称を出して話をしたってことで。
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そして、今回まとめて観て、肝心なことを。
スウィンギング・ロンドンとなったのは、1960年に徴兵制度がなくなったのが非常に大きい、ってこと。
気分が、もはや戦後ではない、に加速したんだろうなぁ。
fri 31/03/23

