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イギリスの食、イギリスの料理&菓子 ricorice.exblog.jp

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イギリスの食研究家、食のダイレクター/編集者/ライターの羽根則子がお届けする、イギリスの食(&α)に関するつれづれ。chattex アットマーク yahoo.co.jp


by ricoricex

死ななかったからこそ、なんだろうな


去年の秋のイギリス滞在で、ご招待で連れていってもらったところが期せずして、かつて住んでいたボーンマス郊外だったことが発端かもしれない(本当に驚いた!)。
以降、なんとなく、何をみてもそれがきっかけとなって、つらつらと昔の自分(主に20代)が顔をのぞかせるようになった。
それはひとつには、5年近く前にまったく知らない土地に来て、ようやく落ち着いてきて、気持ちに余裕が出て来たからってこともあるんだろうけど、ね。


ここのところ懐かしい人に会う機会も少なくない。
私、人間関係もモノも執着がなくって、昔のつきあいをなんとなく惰性でってことが、ない。
疎遠になったらそのままで、またチャンスがあって仲良くなればそれはそれで。たま〜に会って、刺激を与え合える関係性の人が続いていれば、それはそれでいい。
基本、ひとりが好きなので、可もなく不可もなくどーしよーかなーと思う関係性の人と同じ時間を過ごすよりは、ひとりでいた方がず〜〜〜〜〜〜っとラクだったりする。切れるものは切れていい。


人は変わる、環境は変わる、時代も変わる。
今はすぐ過去になり、過去のある地点にいつまでもしがみつきたくなくって、それよりもこれから先を思い描き、ワクワクで胸が高鳴ることを共有できるのがいい。
昔からの知り合いにしろ、知り合ったばかりの人にしろ、ね。


で、ここ数カ月、昔の自分がよみがえることが多くって、
あ〜、あのとき死んでいたら、今、こんな風にこの人たちに会っていないんだなぁ、ってことが頭をよぎる。


私が死の淵を彷徨っていたのは、8年前のごくわずかな間。発症(っていうのか?)して入院まで3日、病院に担ぎ込まれてから退院まで1週間ほど。
連休をはさんだし、仕事もひと段落していたときで、毎月の締め切りのあるものは前倒しで進めていたので慌てて連絡の必要もなかったし。退院する2日前に差し迫ってきて、知らせとかなきゃって人に連絡(実際のところ、電話をかけることすらままならなかった)。
なので、入院している、死にゆこうとしていた私を見た人は、病院スタッフ以外にいない。
発症した翌日に食事を一緒にした人はあまりの顔色の悪さに驚いていて、退院後ヘルプに来てくれた友達と家族(感謝!)は状態を把握したんけれど。


原因はいきなりの多量出血。血液量が3分の2まで減少し、致死量に達したってわけ。
あーゆーときって、意識が朦朧とするわけじゃなくって、頭の中が霞がかったみたいになるのね。
意識はしっかりしているんだけど、だんだん回線が機能しなくなる、みたいな
(血がめぐっていないから当然か)。


2度目の救急車を呼んで待つ間、死ぬんだなぁ、って思った。人ってあっけなく死ぬんだなぁって思った。
でも、今まで自由に好きなようにやりたいようにやってきたから、まっ、いっか、たいしたことはしてないけど、って思った。
全然苦しくなかったから、このまます〜っと消えるように死ぬんだったらそれはそれでいいなぁとも思った。
全然じたばたしてなくって、ものすごおおく冷静だった。
(1度目の救急車で病院へ搬送され、検査。でも連休で、医師がいないから入院しても何もできない、自宅でも一緒と追い返された。で、帰ったものの、状態は悪化はしても好転するとは到底思えなかった。このままだと朝まで持たない、確実に死ぬと悟った。なので、もう一度救急車を呼ぶ。生きたい、っていう気持ちはなく、同じ死ぬなら、救急車でも病院でも状況を理解できる第三者立ち合いのもとで死なないと、独居ゆえ、死んだあとで厄介なことになるな、と思ったから)

モノにも人にも執着がないけれど、自分の命にもあんまり執着がなかったみたい。
じわじわと時間をかけて死が迫っていたり、外的要因で急な死に立ち向かったりだとまた違ったのかもしれないけど。
いや、死に面したときって意外とそんなもんかもよ。


死ななかった。とにかく、死ななかった。


なわけで、過去がつらつらとよぎるタイミングで久しぶりな人に会うと、不思議な気持ちになる今日この頃。
それまでしなかった昔のことを思うって行為を、ここ数カ月していたりすると、死んでたかもしれなかったんだよなぁ、ってこともくっきりとよみがえってきて、つくづくおもしろいなぁって感じる。

たとえば、卒業以来、まったく交流のなかった高校の同級生と会ったり、なかには、クラスが違ったので初めましての人もいたりすると、不思議な感覚に襲われる。

でね、これ、今だから楽しいんだと思う。
私は過去を懐かしがるのが得意じゃないから、これが死にかけるよりも前、たとえば10年前だったら接点を持とうとしなかった気もするし、年齢的なこと、がむしゃら期を過ぎて少し見晴らしのいいところにたどり着いたからこそ、再会が楽しいってのもあるだろうし。


なので、なんとなく、なんだけど、然るべきタイミングで然るべき人に会うようにセッティングされているような気がしてならない。
そして、そんなときの私は、その周囲も含めて、大きな大きなシャボン玉の中にいて、それを両肘ついて顎を支え、ニコニコしながら見ているもうひとりの自分もいるんだなぁ。




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・『イギリスの食、イギリスの料理&菓子は“イギリスの食研究家”“食の編集者/ライター/アドバイザー”羽根則子のブログです。

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by ricoricex | 2016-06-17 12:00 | 日常