私が歴史に明るくないこともあって、九州の国は今の県にすっきり当てはまらず、なかなかむずかしい。。。
そのことをつくづく感じるのが、長崎街道が通っていない県でありながら、南蛮文化の影響を受けたお菓子に出合ったとき。
以前、とりあげた大分県中津の“丸ぼうろ”然り、先日大分を訪ねたときに知った“はるていす”もそんなお菓子です。
作られているのは、大分県竹田。
竹田は「荒城の月」で知られる作曲家、滝廉太郎が幼少の頃に過ごした地で、大分県の南西、熊本県に接する山間の城下町です。
この竹田、一部は熊本藩に属していましたが、大半は豊後の国。
豊後の国は江戸時代前にはキリシタン大名、大友宗麟が治めていたこともあり、ポルトガルとの交易が栄え、数多くの南蛮文化が伝えられた場所です。
そして、竹田にも隠れキリシタンの墓跡が残されていることから、この地にも南蛮文化は息づいていたことがうかがえます。
それが証拠に、江戸時代初期に、料理や菓子について記された『南蛮料理書』によると、竹田に“はるていす”と呼ばれる南蛮菓子があった、と。
これを現代に蘇らせたのが“豊後はるていす”。
作っているのは、竹田にある和菓子屋、但馬屋老舗です。
ちなみに、但馬屋老舗の創業は1804年。大分県下で一番古い和菓子屋です。
http://www.tajimaya-roho.co.jp/
さて、『南蛮料理書』に記述があった“はるていす”。
記録があるとはいえ、そこに記されているのは材料とおおまかな作り方のみ。
試行錯誤を重ねること約10年。
さらしあんこを入れるという和菓子屋ならではのアレンジを加え、“豊後はるていす”は完成しました。
但馬屋本舗さんは老舗ながら、もとい、老舗だからこそ、新しい取り組みをなさっているようです。
早く訪ねなきゃ!
そういえば、長崎県平戸で400年以上の歴史を持つ菓子屋、平戸蔦屋さんも伝統菓子は作りつつ、常に新しいことにチャレンジなさっているもんなぁ。
ところで、“はるていす”ってどんな意味なんだろう?
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【シュガーロード(長崎街道)】江戸時代に整備された脇街道のひとつで、小倉・常磐橋を始点に長崎まで続く道。江戸時代、鎖国体制の中、海外との唯一の窓口であった出島に届いた砂糖は、この長崎街道を経て、京・大坂、そして江戸へと運ばれて行きました。長い年月の中で、菓子文化も大きく開花しました。
fri 05/06/15
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