世界第2の湾岸はドーセットのプールにあり、
内陸部に行けば季節ごとに自然の花々が彩りを添える。
古い教会や茅葺き屋根の家が点在するかわいらしい村々、
シャーボーン、シャフツベリー・ドーチェスター、ブリッドポート、ウィンボーン、
コーフェ・カースル、ブランドフォードといった歴史ある町がいくつもある。
そんなドーセットの食は、土壌を反映するものだ。
海の幸や豊かな牧草地が育む乳製品に恵まれている。
しかし、昔からそうだったわけでは決してない。
19世紀、この地域の農業従事者は最低賃金の労働を余儀なくされていた。
この地方には産業と呼べるものはなく、あったのは農業と漁業、
それと石材。
ポートランド・ストーンは、良質な建築素材としてロンドンに運ばれていたので、
それに関する産業があった程度である。
ボタン作りも家内工業として行われていた。
しかし、1851年のロンドン万国博覧会が開催されると、
イギリスでは機械化が進み、
ボタン作りは家内工業から工場生産へと移っていった。
当時、低賃金労働者が好んで食していたのがルーク・パイ。
肉がなければ根菜やダンプリングで代用できたのが、大きな理由だろう。
煮込み料理やパイの材料としては、ウサギもよく食べられていた。
野生のウサギを食用に交配させていたほどだ。
ブラックベリー、クラブ・アップル、スローといった
果樹栽培も盛んだった。
もちろん野菜も作られ、
これらの果物や野菜は、スープにしたり、
ピュレにして肉料理に添えられたりした。
ハマナなどの海草を使うことも珍しくなかった。
また、石灰質の土壌をもつこのエリアは、
クレソンの栽培にも適しており、
商業的にも大きなものとなり、19世紀からはほかのエリアへ出荷もされた。
現在も、スペティスベリーはクレソンの産地として知られる。
クレソンのスープは、このエリアらしい食べ物でもある。
(・・続 く・・)
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