向かった福岡県北九州市・小倉。
シュガーロード/長崎街道の起点中の起点である紫川にかかる常盤橋のたもとにある。
茶店ときわばしさんで教えていただいた貴重な情報。
それは、小倉の江戸時代のお菓子、「三韓飴」と「鶴の子」でした。
「鶴の子」があったのは、湖月堂(こげつどう)さんの本店。
しかし予約販売とのこと、ただ、どこのお店でも注文可能とのことで、
福岡に戻って早速予約を入れ、先日入手しました。
小倉での詳細は
シュガーロード ~ 小倉 01~
シュガーロード ~ 小倉 02~
シュガーロード ~ 小倉 03~
をご参照ください。
(2012年秋からスタートしたシュガーロード/長崎街道探訪。
これまで飯塚、田代、鳥栖などを回り、
成金饅頭、黒ダイヤ、ひよ子、小城羊羹などのお菓子をチェックしました。
これらの内容については、当ブログ内、
「九州の味」のカテゴリー http://ricorice.exblog.jp/i26/
にて、“シュガーロード”とタイトルがついているものをご覧ください)
「鶴の子」は小笠原藩主であった小笠原家の命により誕生した茶の湯の菓子。
優美な色と形が見るからに上品です。
「鶴の子」は落雁のお菓子(厳密には米粉と砂糖を混ぜて作る“打ち菓子”と称される干菓子)で、
小倉に住んでいた森鷗外も食した記録が残っていて、
森鷗外はこのお菓子をまずいと表現しています。これが明治時代。
小倉には、福田屋という江戸時代から続くお菓子屋がありました
(残念ながら、昭和52(1977)年に廃業)。
「鶴の子」を作っていたお菓子屋は小倉にはもう一軒あり、
それは、明治初年(1868)創業の久志記(くしき 久志記は屋号で、厳密には櫛木商店)でした。
湖月堂の「鶴の子」は、創業者がかつてそこの菓子職人だった縁で
福田屋の製法を引き継ぎ、和三盆を使ってアレンジしています。
落雁とはいうものの、口の中に入れるとほろりとほどけ、
中に入っている白餡もさらりとした味わい。
落雁と餡が一体になるのがピンとこなかったのですが、
食感をうまくすりあわせて、優雅な味わいに仕上げています。
決してバクバク食べるお菓子ではありません。
やはり抹茶と一緒にいただきたくなります。
ところで、より江戸時代に近い味の「鶴の子」を作っていたのは、
久志記で、万人に受けるかどうかはさておき、
もっとひなびた味のお菓子だったようです。
お菓子に限らず、時代の変遷とともに変化するのは致し方ないのですが、
久志記のものを食べてみたかったなぁと思うのです。
ちなみに、「鶴の子」というと、
福岡県やその隣県では、石村萬盛堂さんの同音の「鶴乃子」が有名で、
こちらは、100年以上前に誕生した黄身餡の入ったマシュマロのお菓子。
形こそ似通っていますが、ここで記した「鶴の子」はそれとは異なるお菓子です。
お間違えなく。
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【シュガーロード(長崎街道)】江戸時代に整備された脇街道のひとつで、小倉・常磐橋を始点に長崎まで続く道。江戸時代、鎖国体制の中、海外との唯一の窓口であった出島に届いた砂糖は、この長崎街道を経て、京・大坂、そして江戸へと運ばれて行きました。長い年月の中で、菓子文化も大きく開花しました。
sat 02/02/13
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