この街にある茶店、ときわばしさんで
非常に貴重なお話をうかがいました。
(ときわばしさんの名前の由来となった常盤橋はシュガーロード/長崎街道の起点。
前回の記事、シュガーロード 〜 小倉 01〜をご参考ください。
http://ricorice.exblog.jp/19694013/
また、2012年秋からスタートして、これまで飯塚、田代、鳥栖などを回り、
成金饅頭、黒ダイヤ、ひよ子、小城羊羹などのお菓子をチェックしました。
これらの内容については、当ブログ内、
「九州の味」のカテゴリー http://ricorice.exblog.jp/i26/
にて、“シュガーロード”とタイトルがついているものをご覧ください)
街おこしにも携わってらっしゃるオーナーさんは博識で、
「シュガーロード/長崎街道について調べています」と伝えたところ、
親切にも、いろいろなことを教えてくださいました。
常盤橋を通った白象の話、それを見たがった徳川吉宗のこと。
さらに、シュガーロード/長崎街道調査の核心ともいうべき、
江戸時代のお菓子についても教えてくださいました。
当時、小倉の街にあったのは、「三韓飴」と「鶴の子」。
「三韓飴」は“さんかんあめ”と読み、
麦芽糖で作られた水飴のようなお菓子だったそう。
「三韓飴」の“かん”の字は“韓”をはじめ“官”やなどの字が当てられていますが、
どれが正しいのかははっきりしないようです。
“官”が多いようですが、
幕末の浮世絵師、五雲亭貞秀の画に「名物大名三韓飴」と記されていることから、
ここでは「三韓飴」としました。
「鶴の子」は福岡県やその隣県では、石村萬盛堂さんの同名のものが有名ですが、
それとは異なるお菓子のようです。
石村萬盛堂さんの「鶴乃子」は、100年以上前に誕生した、
黄身餡の入ったマシュマロのお菓子。
しかし、江戸時代にあった「鶴の子」は落雁のお菓子で、
ときわばしさんから川を隔てた向こう側に
数年前まで製造しているお店があったそうです。
この日の会話では、名前は出てきませんでしたが、
どうやら“久志記(くしき)”という名前のお店だったようです。
このあたりは、まだしっかりと確認しきれていません。
備忘録という意味合いで記しておきます。
ときわばしさんには、店の向かいに現在の地図標識があり、裏に回ると江戸時代の古図があることや、
少し離れた40数階建ての高層ビルの脇で「三韓飴」が入っていたた壺を知ることができると
教えていただきました。
ビルまで来てびっくり!
さらっとパネルのようなものがあるかと思っていたら、
そのビルの建設時に見つかったのでしょう、
「三韓飴」が入った壺(こちらの展示の表記は「水飴」)、和菓子の型やワインボトルなど、
解説とともにディスプレイされており、実に立派な展示でした。
私個人は、必ずしも、何でもかんでも古いものを使い続けるのがいいとは思っていません。
時代に即して壊したり変えたりするものは当然あるでしょう。
しかし、過去のものを違った形で使い続けたり、保存し、
後世に伝えていくことは、非常に意義のあることだと思っています。
大掛かりでない、生活に密着した文化は
やもするとそのまま流れ去っていき、気づいたときには
何も残っていないということになります。
こういうものを大事にしようとする北九州市の心意気に、深く感銘を受けました。
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【シュガーロード(長崎街道)】江戸時代に整備された脇街道のひとつで、小倉・常磐橋を始点に長崎まで続く道。江戸時代、鎖国体制の中、海外との唯一の窓口であった出島に届いた砂糖は、この長崎街道を経て、京・大坂、そして江戸へと運ばれて行きました。長い年月の中で、菓子文化も大きく開花しました。
fri 25/01/13
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